Amygdala

Turns on

ある一枚の絵について

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自宅に一枚の絵が届いた。

否、この状態ではただの箱だ。

 

去年の11月ごろあるサイトであらかじめ注文しておいたもので、正確には記憶していないが2万円ほどしたように思う。木の枠と色のついた紙に2万円は決して安くない買い物だ、少なくとも私にとっては。

決め手としては色々あったが、受注生産品だったということもあるし(記憶が正しければ)、ライプツィヒあたりを移動しながら危険な野良Wi-Fi探しで焦っていたのかもしれないし、多分酔っていたのだろう。

 

その日、私は留守だったのでいつも家にいる母親がそれを受け取った。24歳にもなって結婚も就職もせずぶらぶらしている息子としては多少なりとも気まずい買い物だったので、丁寧かつ余計な情報の記載されていないその梱包には優しさを覚える。

 

とにかく、その絵が入った箱は注文から5ヶ月経って家に届いたのだった。

 

さて、届いたことに興奮と喜びを感じはしたものの、その箱はLPの1.5倍ほどの大きさということもあり、どこか場違いなような、心の底からそれを楽しめないような居心地の悪さを部屋の中で放っていた。それは箱の中身が私にとって深刻な意味合いをもつものであり、なおかつその価値を他者と共有することが難しいものであるがゆえだ。

また、そのモチーフが深刻であるがゆえに、客観的かつ冷静な気分でその絵を眺める行為には苦痛が伴うし(無職のくせになんてことに2万円を!と叫ぶだろう)、そのモチーフに対する主観的な思い入れを自分に取り戻す瞬間は日々短く、途切れ途切れになっている。

そんな時、昔の人は判断に困るものを一旦タブーとして封印し、後世の人々の解釈に任せる手法をとってきた。この場合、4日後の自分にそれが託されたのだった。

 

4日後。その日もかなり酔い、良い具合に視野の狭窄と思考の単純化、情動の波が自分に訪れているように感じた。今日ならいける、そう思い箱を開けた。

 

 

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若い女性が5人、ウェディングドレスを着てこちらを見ている。

 

その表情は恥じらいもあるが基本的に穏やかなものであり、そのアニメ調のタッチや髪色や等身、背景の少なさや白が強調された配色、5名の女性がウェディングドレスを着ている不可解なシチュエーションも相俟って強烈に非現実的なイメージを見るものに与える。

一番左の女性の頭に飾られた花は一見クレマチスのようにも見えるが、ササユリのようにも見える。中央から延びる蕊は雄蕊か雌蕊か判別がつかない。それは白百合に雄蕊を書いてはいけない「受胎告知」のようにも見え、その曖昧さがかえって宗教的な趣を醸しているかのようだ。

作画はデジタルのようで均一だが、作者のものと思しきサインと紙質の良さが適度にアナログ感を加えている。

 

そして一見非現実的で性的なイメージのみを卑俗に結晶化したような絵でありながら、そこにあるのは「結婚」、「若い女性」、「舞い散る花」、などの抽象的な記号であり、またその抽象化があまりにも高度なものとして表現されているのでその印象はシリアスですらある。この絵が描かれるに至った背景は知る由もないが、おそらく人はこの高度な抽象性のなかに汲み切れない文脈があることに気付くはずだ。

付随する何か長い物語があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。そんなことはきっと30年もすれば誰もわからなくなってしまうだろう。

 

この絵は見る人、環境、時間によって印象を強く変え、解釈の余地を無数に用意しているだろう。神聖で侵しがたく、眩い輝きのようなイメージを与えることもあるし、卑俗な感情と商業的な活動の間から生まれた毒々しいイメージを与えることもあるはずだ。

だからこそ、この絵は素晴らしい。

 

私はこの絵を箱に戻し、部屋の奥に隠した。

次に開けるのはいつになるかわからないが、きっとまた箱を開けるだろう。