Amygdala

Turns on

ピザとパスタに飽きた奴から死んでいく

この記事の続きです。

なんやかんやでイタリアにいる。

 

 

10/30 カレンツァーノ - ローマ

昨夜ルカに連れられたどり着いた投宿先だが、誰の家なのか皆目わからない。とにかく今日我々の運転や手伝いを行ってくれるのがアンディ(仮名)だ。アンディは体毛が濃く全身に恐ろしげなタトゥーの入った心優しい男だ。口癖は「カッツォ!」(ちんこの意、Fuckみたいな用法)

アンディ曰く昨日の嵐でヴェネチアは完全に水没、これから向かうローマも街路樹が折れ道が塞がったりとかなり被害があったらしい。

機材はまだ何も来ていないが、自家製いちぢくジャムやらクラッカーやらで朝食とする。

 

昼頃にはフィレンツェからリーダーが到着。なんと我々の機材を携えている! と思ったのもつかの間、まだ機材の半分はモスクワにあるらしいということが判明する。とはいえ、自分の分の荷物とベースは戻って来たので安堵した。

 

結局、ギターエフェクターやドラムは借り物でなんとかするということでツアー初日のローマへ向かうことに。道中スーパーに寄り、巨大なナスやパプリカを確認。サラミやソーセージなどの加工肉やチーズ、バター等の乳製品が極めて安価な上に高品質なので購入し道中弁当とする。

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途中寄ったピザ屋で初ピザ。うまい。

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夜にはローマに到着。当然ながら建築物ひとつひとつの重厚さ、歴史さえ感じる太い街路樹、そして手の届く所全てに描かれたグラフィティの数と最悪の運転マナーに気圧される。ほとんどの人間がスマホの画面のみを見ながら運転しており、所構わず行われる強引な駐車は深刻な渋滞をあちこちで引き起こしていた。アンディ曰く「ローマ式駐車だ」とのこと。

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本日の会場に到着。犬がふてぶてしくも入り口を塞いでいるが、オーガナイザーの犬らしく誰も蹴ることはない。リンゼイ・クーパー似のバーテンダーが良い感じだ。

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なにやら今宵はやたらマニアックな機材のシャレオツバンドと対バンらしい。金持ってそうなイタリア人たちだ。

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サウンドチェックを行いケータリングのパスタを食す、がライブがいつまでたっても始まらない。いつになるかわからないのでビールやグラッパやラムを大量に煽り、気がつくと意識を失っていたらしく出番直前に起こされた。

この日は初日らしくこのツアー用のスタンダードなセットを普通に演奏。客は入っているのだが今ひとつ反応がクールというか盛り上げられず東京で演奏しているかのような錯覚を覚えた。物販もさほど売れずこれはPOPや売り場環境の改善が必要。

 

帰りにギャラを受け取りに行くとなんとオーガナイザーが「客の入りが良くない」などとゴネて50€もギャラを減らされた。

一応客は入ってただろ!盛り上がらなかっただけで!!!カッツォ!!!

なんとも冴えない後味のままアンディの運転で投宿先のオーガナイザー宅に向かうとそこはむせ返るような犬の匂いが立ち込める空間だった。てか犬小屋そのものの匂いだ。

 

窓を開けローマの排ガス臭を取り込んだ方がマシという悲しい状況の中、あのふてぶてしいクソ犬の毛だらけなベットに倒れ就寝。Wifi環境も貧弱で今期アニメ全然追えてないな……という悲しさがクラクションの遠鳴りと相まって胸に去来する。

 

 
10/31 ローマ - カレンツァーノ

窓を開けっ放しだったので寒さで目覚める。一晩で犬の匂いに慣れたつもりだったが、シャワーを浴びタオルを借りるとそこも犬の毛だらけで閉口する。

昨日のギャラの件や犬の匂いの怒りを込め家にある食材を拝借しペペロンチーノを製作。使った後はきちんと食器を洗い現状回復、日本人の礼儀正しい印象は保たれた。

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今日はライブがないのでローマ観光をしようとアンディが提案、荷物をまとめ出発する際何故か入り口に逆さまのオーネット・コールマンが鎮座していた。これはいかなる兆しか。

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その後コロッセオを望む斜面で記念撮影したり観光客気分を味わう。人が多すぎるのでもしブチャラティが闘ったりしてたら速攻で警察来ると思う。写真は凡庸な観光客のそれなので割愛。

アンディの運転で3時間半かけカレンツァーノに戻る。物や人が多すぎてあまりいい印象を残さなかったローマ界隈だった。

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スーパーで再び食材購入、剥きうさぎも確認。スカモルツァチーズが1€でたっぷり、サラミもほとんど似たような価格で美味なのでサンドイッチとする。ビールを飲みながら22時ごろ意識を失う。

 

11/01 ファエンツァ

朝、すでにパスタとピザと乳製品に飽き始めているので台所でこっそりと日本から持参したうどんを調理。薄切りの牛肉と刻みキャベツ(?)を具にし固形鍋スープと醤油で味を決め完成。

いざ食らえばダシのうまさに感涙、思えばこちらに来てからスープ系に全くお目にかかっていなかった。

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昼にはエドと共にモスクワ組の機材も届き、アンプやドラムセット、ルカの家に届いていた150枚のLPもバンに詰め込んで今日から本格的なツアー開始である。3時間ほど運転しファエンツァという雰囲気の良い地方の街に到着する。

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本日の会場はレストランらしく、機材を全て下ろし、ドラムを組みアンプを繋ぎサウンドチェックを行う。毎日の業務だ。

美しいレストランでワインと共に供されるケータリングだが、全てヴィーガン料理なので出てくるのは野菜とかパスタのみ。見た目重視。レバニラとか食いたい。

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相変わらずスタートは遅く、ワインも飲みすぎたので24時くらいのライブ開始まで車で眠る。寝ている間にデザートが供されたらしいことを後で知る。

本日は会場の雰囲気に合わせまったり目のテンポかつ音量控えめで演奏開始。セットリストも平常運転で聴かせる演奏を意識して展開した。

終演後観客から「ミッドの音作りが最高だ!」というお褒めを受ける。アンプのおかげです。*1

物販の売れ行きも180€くらいでまずまず、良い雰囲気かと思いきやエドと女性店主がなにやらもめている。というのもルカがブックした際にはもっとスマートでソフトなイメージのバンドとして先方に伝わっていたらしく、「Too Loud」であるということで店主はご立腹であるらしい。日頃に比べソフトな演奏を心がけて尚この様子なのだから、ヨーロッパの音量事情はどうなっているのやら。とはいえ、店のおごりでグラッパを何杯も飲みいい感じに。

機材撤収は明朝でいいとのことで、店主の家に投宿する。猫の毛だらけなベットに入り寒さで何度も目覚めながらも断続的に眠りにつく。

 

11/02 ルチェーラ

10時ごろリーダーに起こされる。機材撤収のために店に行くとなんとピザやケーキやカプチーノ(ちょっとぬるい)をごちそうしてくれたうえに帰り際には水のボトルを何本もくれた。なんていい店なんだ。また来たい。

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本日はルチェーラという場所でシークレットギグである。先にお断りしておくと、この日は人生最悪の恥をかいたため写真も記録も少ないものとなっている。ご了承ください。

4時間か5時間ほど運転しルチェーラに着いたが、日も暮れ電灯もない妙な荒地のような場所でありこんな地域でライブができるのか疑問を覚える。今日の会場はそんな地域にポツンと佇む謎の建物らしい。ホテルカリフォルニア in ルチェーラといったところか。

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今日はいけない感じのシークレットショウなので、PAのセッティングなども色々と手作り感が強いものとなっている。

30代くらいの女性オーガナイザーも何やらセンスの悪い田舎の女子高生のような服装をしているし、内装も妙なセクシー感があって不気味だ。ホテルでもなさそうだし、なんなんだこの施設。

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ケータリングはピザとステーキ、またピザかよ…… いい加減ウンザリしてくる。

そして1時間後、サウンドチェック後にサウンドマンから受け取った■■■で■■野郎になった私は演奏中おかしなことに気付いた。全てのテンポが遅い……いや、自分の感覚だけが加速している??? ジョルノに殴られたブチャラティ状態である。

ふと指先を見ると、ちょうど指板の上のフレットたちが分裂し溶けていくところだった。参った、これじゃ何もわかりやしない。そのうえ低音は全て全身に響き、弾けども弾けどもちっとも自分の音が認識できずこれはちょっとまずいことになったぞ、と思った刹那ココロにスキが生まれついにミスを連発。

薄れゆく正気の中これは続行不可能と判断し、ベースを置いてステージから遁走、トイレに駆け込んだ。

 

 

……終わった。

 

 

私はトイレの隅で頭を抱えて震えていた。

悪夢のような状況、しかも完全に自業自得である。様々な悪しき妄想が脳内を駆け巡り、自分がイタリアの怪しい店のトイレでぶっ倒れている状況を認識するたびにパニックに陥った。残されたメンバーたちが別の曲を演奏し場を繋ぐ様子が遠鳴りに聴こえる。

しばらくするとエドが来て「大丈夫だ!もう大丈夫だ!俺がいる!」と介抱してくれ、予想に反してメンバーたちも私を殴るでもなく許してくれた。薄れた意識の向こうでエドが繰り返し言う、「大丈夫だ!だからステージに戻ろう!!」

 

……え、もう一回やるんですか??!?!??

 

逃げ出したい気分を抑えなんとかフラフラとステージに戻り、最初から演奏をやり直す。だが一曲短縮しようとリーダーがメンバーに伝えたにも関わらずギター担当のメンバーが展開を勘違い、そのまま演奏が終わってしまった。リーダーからすればメンバーの統率がとれず踏んだり蹴ったりであろう。

私はフラフラのままアンプやドラムを撤収し逃げるように車に乗り込んだ。そしてどうしようもなく情けなく泣きたいような気分でホテルのベッドにくるまって一日を終えた。

 

11/03 メッシーナ

起床、昨日の体たらくを改めて皆に詫びる。

皆の許しを得たところで気持ちを切り替えシチリア島メッシーナへと爆走。

ドライブ用のBGMをメンバー交代で担当したが、誰かがスガシカオを流し始めた時にエドが「What’s the shit!?」と難色を示す。やっぱそうですよね。

どこまでも続くオリーブ畑、ブドウ畑、だいぶイタリアらしい景色にも飽きてきた。途中スーパーに寄り買ったサラダとサラミを適当に食う。不味いわけではないのだが、毎日こんな調子で不安になる。米食いたいです。

 

途中トイレという名目でどこかの高架下に停車。いざズボンを下ろそうとすると彼の虚ろな目と見つめ合う。

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ピザとパスタに飽きた奴から死んでいく……

そんな言葉が脳裏によぎった。結局ルチェーラから5時間ほど運転しシチリア島行きのフェリー乗り場へ。

フェリーを待つ車の列には窓掃除の仕事をするアフリカ系青年が集まってくる。どこからかの移民だろうか、などと考えながら窓を洗ってもらう。その間エドはずっとAreaの「1978」を流している。超名作アルバムですがもうそれ流すの4周目ですよ。

 

 

フェリーであっという間に対岸、シチリアへ。会場付近は荒涼とした工場地帯で相変わらずこんな場所に客が来るのかと不安にさせられる。

今日はPAエドが兼ねる。昨夜はバカなジャップの面倒を見、何時間も運転し続けた後にPAも担当する彼のタフさに感謝。

 

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本日より物販コーナーの設営を開場前に行い、POPを新しいものにする。そのおかげか会場のスタッフたちが先に集まってLPやTシャツなどかなり買ってくれた。幸先良いスタートである。

ケータリングはフォカッチャとショートパスタの類。美味いっちゃ美味いけどもう完全に飽きている、油っこいし。ビール飲み放題の手配を頼んであるのでとにかくビールはたくさん飲む。オーガナイザーがポートレートを撮らせてくれと言うので地下のレンガ造りの部屋でポラロイドやデジカメでバシャバシャ写真を撮られた。

 

さて、私の心配もよそに気づけばかなりの人が会場に詰めかけている。イタリア公演の常に漏れず本日も24時過ぎに演奏開始。

前日の失敗の反省から丁寧かつダイナミックレンジの広さを心がけ演奏開始、暖かい反応にも恵まれ当ツアー初のアンコールもやるなどかなり盛り上がった。終演後は物販も盛況で、こんなところにもファンがいたのかと思うくらいマニアックなファン相手にサインや写真撮影に応じる。自分がレコーディングに参加していないアルバムにサインするのは妙な気分だ。

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実は私の業務として毎公演終わるごとにオーガナイザーからアンケート用紙を受け取らなければならないのだが、この日はオーガナイザーがDJを兼ねておりパリピどもを踊らせ続けているのでなかなか受け取れない。

 

気がつけば私は楽屋で意識を失っており、まだ爆音で音楽が流れ続けているので時計を見ると時刻はすでに午前4時。どんだけ元気なんだ。

4時過ぎにやっとDJタイムも終了、なんとか機材を運び出しアンケートを受け取ったあたりで豪雨が再び我々を襲った。フィレンツェの悪夢再び、である。

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用意された近隣のホテルになんとか逃げ込み、機材を片付けベッドに入った頃には午前5時過ぎになっていた。激しい雷雨の音を聴きながら就寝。

 

 

 

(続く?)

*1:ドンシャリベースはあまり好みじゃないのでアンペグ派だ。

他人の海外旅行に「いいね!」を押さないために

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なぜ、SNSで日々流れてくる他人の海外旅行の写真はとても退屈なのだろう。

知らない外国人に囲まれてニコニコ笑う知り合いの顔、スマホの小さな画面越しに見る観光名所、カラフルな料理と魚たち。この情報過多社会はそれら全てを記号のように味気なく変換し、広重の浮世絵を見ている方がはるかに面白いという状況を逆説的に発生させている。

 

日本の、それも関東平野すらろくに出たことのない私がヨーロッパ各地を巡る約一ヶ月間のツアーに行くことが決まったのは、今年のまだ雪がちらつく時期だった。知り合いの知り合いという程度で面識のなかった10歳ほど歳上のミュージシャンから唐突に「ヨーロッパに行けるベーシストを探している」と誘われたのだった。

特に断る理由もないが、私はベースを持っていない。*1そもそも金欠のあまりDTM機材もパソコンもベースもギターも売り払っており、持っているのは打痕だらけのオルガンくらいなものである。

そんな状況なのでまずオルガン奏者として彼らのライブに参加することになった。これはまぁまぁ楽しかった。

 

その後、ツアーに備えセカンドストリートでメーカーもわからぬ5000円のベースを購入。ツアー後はヨーロッパで売り払い荷物を減らす算段である。

しばらくそれをスタジオで使用していたが、そんな安物をヨーロッパまで持っていこうとする不心得な姿勢を見かねた知人がFenderのプレシジョンベースを貸してくれることになった。

うかうかしているうちに彼らの新譜LPもヨーロッパで発売され、10月終わりから12月初めまでの渡航も決まった。8ヶ国ないし9ヶ国をめぐり、30公演ほど行うツアーだ。渡航費を溜めるために某オルゴール等の購入は断念したりしたが、まあ仕方のないことだったのだと思う。愛という名のドープを買うには金がいる、というだけの話だ。私は別のドープを買ったというわけだ。

そんなこんなで渡航の日はあっという間にやってきた。ここからは日記形式で綴りたい。

 

10/28  成田-モスクワ-ローマ
10時15分、成田空港のアエロフロート窓口にてリーダー以外のメンバーが集合、荷物を預ける手続きを行う。今思えばこの時点で全ての歯車が狂い始めていたのだったが、誰も気付く者はいない。
昨晩パッキングした荷物の重さはベースやギターのハードケース含め全て30キロ以下であり、我々は余裕をこきながら待っていたのだが、サイズの確認後職員から伝えられた超過料金はなんと3人で9万円という法外なものだった。*2格安の航空券を手配した際に起こる悲劇のひとつである。今回はアエロフロートモスクワ空港に向かい、アリタリア航空でローマ、フィレンツェを経由する二社使用経路のため、サイズ超過した荷物の輸送費が倍プッシュされるということを誰一人知らなかったのだ。この時点で全員の気持ちが激しく萎えるが、今更変更も出来ないので領収書だけを保管しそのまま向かう。
 
12時20分、成田-モスクワ間飛行機が出発。9時間半ほどかかる見込みだが、当然エコノミーなので血栓や痔の恐れがある。だが特に対策出来ることはないので、諦めて親鳥の帰りを待つヒナのごとく機内食に期待する。
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日本海上空で備え付けのクソゲーに興じる。退屈な時の流れをより一層深く感じさせるような仕上がりにはある種の感動すら覚えるが、まだ超過料金のダメージを引きずっておりあまり楽しめない。
 
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カバロフスク上空あたりで機内食拝領。ビーフ煮込みと麺、寿司サラダになぜかパン。ケーキと食後の紅茶。
16時半ごろバイカル湖付近の上空を通過。氷の大地が美しい。
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機内でイーストウッド監督作「15時17分、パリ行き」を鑑賞。(メモにはイーストウッドのパリ行きのアレと記されている)、なんだか我々と似たようなシチュエーションで過激派のテロに遭う主人公たちを観て不安になる。
19時半、不慣れな飛行機にいい加減ウンザリしてくる。だがロシアの大地はひたすらに広大で、モスクワは遠い。
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20時、機内食拝領。白身とエビのグラタン的なもの、シーフードサラダ。パン、コーヒー。
空が明るいままなので今何時なのか全く感覚が失われている。
 
21時半、モスクワ空港に到着。人生初の海外だが、長髪で怪しげな服装のアジア人たちは降りて早々にロシアンロリたちのゴミを見るような視線に晒される。
そのまま急いでアリタリア航空の乗り換え窓口に向かい荷物の引き継ぎ書類を提出するもロシア人職員たちは書類を一瞥するのみでそのまま窓口を通過、我々も特に疑うことなくローマ行きの便に搭乗。しかしこれがのちに大きな悲劇を生むことになる。
 
27時ごろローマに到着。現地時間では21時くらいだ。
現地時間22時にツアーマネージャーが待つフィレンツェ空港に到着。だが、預けてあるはずの荷物や機材が一切出てこない。一気に吹き出る冷や汗。
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窓口に拙い英語で荷物がないことをまくし立てると、ウンザリした様子の職員に書類を書くよう伝えられる。ツアーマネージャーのエド(仮名)に事情を電話してもらい、不安と手荷物だけを抱え空港の駐車場でエドの車に乗せてもらう。
エドエレクトロニカとワサビを愛する物静かでクールな男だ。彼の運転で投宿先に着いた頃には日本を出て20時間以上が経過していた。
 
とても綺麗で文化的な雰囲気の家だが、空調がなく寒い。荷物も機材もなく不安と寒さに震えながらTwitterを開き、いつもと変わらぬ調子で流れ続ける二次エロの数々にほんの少し安心を覚えたあたりで即寝成仏。
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 10/29 フィレンツェ

明け方、寒さと激しい雷雨の音で目が醒める。

荷物はやはり空港職員の怠慢でモスクワに足止めされているらしく、最悪31日のライブまでに間に合えばいいと諦めてエドの案内でフィレンツェ観光に赴くことにする。

丘の斜面一面に広がるオリーブ畑が美しい。

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フィレンツェの街はやはり美しい建築が売りのイタリアらしい観光地らしく、巨大な教会やレコード屋に寄ってしばし楽しむ。

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レコード屋で60sイタリアンビートポップグループのリイシュー盤を購入。

昼食は屋台のパニーノ・ランプレドット(牛の胃のスパイシー煮込みをパンに挟んだもの)とワイン。意外な組み合わせだが、モツ煮好きとしてはたまらない。

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本場のジェラートに感動、これからあまりチャンスがなさそうなので市場で日持ちする土産を購入したりとしばし荷物の不安を忘れ普通の観光客として振る舞う。

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だが、フィレンツェの街で4つ星ホテルのトイレを借りたりしているうちに突如空が暗くなったと思うと逃げる暇もなく雷と共にシャワーのような横殴りの雨が我々を襲った。着替えは全てモスクワだが一瞬のうちに全員が全身ずぶ濡れになり行動不可能、嵐の中投宿先に避難する。

やっとの思いで投宿先に着くと電気がつかない。なんと先ほどの嵐で停電しており、携帯の充電もWifiも使えない状況になってしまっていた。また、他のメンバーはフィレンツェの街で拾った野良WifiによってFacebookアカウントをハックされ、ログインすらできない有様。そして全員相変わらず体はずぶ濡れのまま、なんとも言えない嫌な雰囲気が広がる。

暗闇の中キャンドルを発見し、なんとか火をつけるとエドが「Emergency lightを見つけた!」と言って馬をどこからか持ってきた。濡れた体に乾いたユーモアが染み渡るが、マジで暗い。

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イタリア語でしきりに誰かと連絡を取り合っているエドが「サプライズがある!」と言って我々を集めた。嫌な予感がする。

それはツアーエージェントのルカの通達ミスにより31日に予定されていたローマ公演が明日30日に変更になったという内容だった。そして時を同じくしてリーダーと我々の機材を乗せる予定の便が先程の嵐で欠航したという知らせも入ってきた。様々な問題が同時進行で起きているうえに、誰も全貌を把握しておらずWifiで連絡も満足にとれない。エドにスケジュールの件を訪ねても、俺はドライバーなのでそこまで知らないとのことだった。俺のココロには今まさに重大な葛藤が生じていたが、それを解決してくれるBotさんやら司書さんとらやらはイタリアにおけるサービスを行なっていないらしい。普段喋れるはずの語彙も出てこないほどに頭が混乱し、服も臭い始めそうでストレスも膨らみ続け、何を最初に解決すべきかわからなくなった。パニックに近かった。

 

とにかく明日の公演に必要なレンタル機材のリストをルカに通達してもらい、フィレンツェの駅から3駅先の別の投宿先に向かうことになった。駅で乗り方と行き先の駅名をエドに細かく教えてもらい、そこで別れた。

行き先の駅で我々を迎えたのがツアーエージェントのルカだ。涙目ではないのだがテンションがやたら高く口が達者で、自分の失敗も勢いで押し切ろうとするのでなかなかの曲者である。

彼の車に乗ってツアーの物販、150枚のLPを受け取り新しい投宿先に向かう。そこも清潔で広く、パスタとビールでもてなされる。パルミジャーノかけ放題はイタリアらしく嬉しい。

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また、もしかしたら明日の便で一部の機材とリーダーが着くかもしれないという知らせもそこで受け、シャワーも借りることができた。

不安が少し和らいだ所で強烈な睡魔に襲われ、22時ごろには意識を失う。

 

(続く)

*1:私は以前バンドでベースの経験があるというだけで基本的にはキーボード奏者である。

*2:断念した某オルゴールとほぼ同価格である。

ソフト・マシーン (Soft Machine)という奇妙なバンドのファンを増やしたい

ジョジョの奇妙な冒険の第5部アニメ放送が始まりましたね、作中でブチャラティたちを襲うパッショーネのギャング、マリオ・ズッケェロのスタンド*1名であるソフト・マシーンも他のスタンド同様洋楽由来の元ネタがあります。

 

ソフト・マシーン - Wikipedia

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彼らの経歴を平たく言えば、60年代後半の英国サイケシーンにPink Floydらと同時期にデビューし、サイケデリック・ロックにジャズの要素を加え闇の魔術で煮込んだような独特の音楽性を確立、名盤を数多く残したものの70年代半ばには失速し自然消滅した。というグループです。Pink Floydのようにバカ売れすることもなく、Yesのように派手な音楽でもなく、King Crimsonのように50年以上芯の通った活動をするわけでもなく、いわゆるプログレッシブ・ロックでも比較的マイナーな立ち位置のグループといえましょう。

 

私はこのSoft Machineという英国のバンドのファンでもありまして、皆さんにこのグループの良さを理解してもらうべく日々布教活動、もとい折伏を繰り返しています。ついには以下のような彼らのライブ音源を公式非公式問わずレビューするブログまで作ってしまいました。(現在更新お休み中)

 

Chronicles of the Soft Machine's Live

 

しかしこの布教活動、今一つ成果をあげられておらず、皆さんの反応もあまり好ましいものではありません。何故なのか、少し総括してみましょう。

 

 1. 音楽性がそもそも難解。

彼らの代表作として真っ先に挙げられるのが1970年発表の三作目「Third*2です。前述したサイケロックとジャズの融合を最も早く成し遂げた名作として語られる本作ですが、洋楽初心者がディスクレビューを読んで聴き、そして彼らの音楽に今後二度と触れなくなる、という最大の悲劇を生んでいるアルバムでもあります。

原因はアルバム冒頭から5分以上延々と流れる謎のノイズ。いや、それだけではありません。

一曲目にして彼らの代表曲である「Facelift」の構成はざっとこうなっています。

  1. オルガンを中心とした5分間のノイズ
  2. 曲のテーマ
  3. ファズをかけたオルガンとアグレッシブなサックスによる延々としたソロ演奏
  4. フルートによるぼんやりしたサイケな演奏
  5. 謎のミニマルなサウンドコラージュ
  6. ゆるやかに盛り上がり冒頭のテーマに戻る。


ジョジョのEDでYesの「Roundabout」を聴き、プログレに手を出した初心者リスナーを追い払うかのような抽象的でアヴァンギャルドインストゥルメンタルがここでは19分にわたって繰り広げられます。いやテーマはマジでかっこいいんだって!

このアルバムは同じように20分近い曲が4曲だけ、という攻めた構成となっており、ヴォーカル入りの曲は3曲目の「Moon In June」だけとなっています。こういった構成の長大さは「サビは10秒以内に入れろ!」と言われるYoutube世代には苦痛そのもの。みんな娯楽が溢れてて忙しいんです。

 

2.音楽性もメンバーも変化しすぎる

まずは画像を見比べていただきたい。

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◆1967年ごろ*3

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◆1977年ごろ*4

 

 ……同じバンドを名乗るのは無理があるでしょう。

ちなみに二枚目の画像ではオリジナルメンバーがキーボードのマイク・ラトリッジだけになっていますが、彼もほどなく脱退しオリジナルメンバーが誰一人いないバンドとなりました。音楽性も初期はゆるふわサイケポップを演奏していたのがだんだんとジャジーインストゥルメンタル傾向を強めていき、時代性もあってクロスオーバーフュージョンに接近、最後はミニマルやテクノにまで接近する寸前でグループの核がなくなり自然消滅、数年後思い出したかのようにクラシカルなイージーリスニングアルバムを残して解散しました。

 

あまりにも変化する音楽性ゆえに他人に勧めづらく、ゆえにリスナー同士が出会っても話が噛み合わないことがほとんどです。

例えばギター好きは有名ギタリスト、アラン・ホールズワースが在籍した後期のフュージョン路線な「Bundles」を推し、

◆ハードでわかりやすいですよね。

 

サイケデリック好きは2作目「Volume Two」を推します。かくいう私も最も好きなアルバムです。

Soft Machineで一番好きな曲です。クラムボンもカバーしてるぞ!

 

前述した「Third」で唯一のヴォーカル入りナンバーを作曲した、ドラマーにしてヴォーカル担当のロバート・ワイアットは脱退後ソロ歌手としても支持を集めました。決して歌唱力があるわけではないのですが独特の個性ある歌声を持っており、坂本龍一ビョークの作品にも招かれるなど、ミュージシャンズ・ミュージシャンとして長年愛されています。

 

3.ルックスがなんかむさくるしい

重要な条件です。同じ洋楽でもThe BeatlesQueenがなぜ長年にわたり愛されるのか?やはりポップな音楽にはポップなルックスが大事なのです。

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この頃はまだ良かった。

 

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たった2年後の姿。

 

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ああもう駄目だ。

 

音楽性が難解になるにつれて度重なるメンバーチェンジ等でルックスもだんだんとオッサン化(実はみんな20代か30代前半なので若い)。ハゲとヒゲのメンバーばかりに。何歳になってもナイーブ感溢れ前髪で目元隠しちゃってる系邦ロッカーを愛するようなサブカル女子*5からすればこれはバンドマンではなくなんか年齢不詳で怪しい男の集まりでしかないでしょう。

 

4.とにかく

 

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ざっと見ても初期は「あんまり歌が上手くないサイケ」、中期は「キマりすぎてて怖い音楽」、後期は「爽やかさのないフュージョン」と、日本人に受けない要素たっぷりのグループであることは何となくご理解いただけたでしょうか。

しかしその落ち着かない音楽性がゆえにもたらされる過渡期の面白さ、ロックとジャズが奇妙に入り混じった瞬間には独自のカタルシスがあり、一度入り込めれば音楽への新たな扉が開かれることは間違いありません。一回聴いて好きじゃないと思った方はそのうち思い出した頃に聴いてみてください。

 

……とはいえ、普段から70年代の洋楽に親しんでいないリスナーがいきなり聴いて好きになるような音楽じゃないということは間違いないんで、そこはご了承下さい。

 

◆ワイアット/ホッパー/ラトリッジの3名だけで演奏される「Moon In June」。途中ドラムスティックを落としても演奏をやめない姿勢がロックっぽくていい感じ。

 

*1:効果が今一つパッとしないっぽいが、実は主人公チームを一番追い詰めたスタンド使いだった。メタリカみたいな戦闘に全振りのスタンドより日常で汎用性ありそうだし。

*2:レコーディング時のメンバーはマイク・ラトリッジ(キーボード)、ヒュー・ホッパー(ベース)、ロバート・ワイアット(ドラム、ヴォーカル)、エルトン・ディーン(サックス)、この4名が中心だった時期が一般には全盛期とされています。

*3:左からケヴィン・エアーズ、ロバート・ワイアット、マイク・ラトリッジ、デヴィッド・アレン。アレンはのちにフランスでGongを結成。

*4:一番左のカール・ジェンキンスはのちにアディエマスというイージーリスニング、癒し系音楽で成功をおさめます。

*5:Art-Schoolクリープハイプなどへの傾倒を示すホモ・サピエンスの亜種、V系を愛するバンギャとは異なる生得的ニッチによって棲み分けている。

個人的2018年の古人類学注目ニュース

 

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田舎で老人と語らい、山でキノコを追い、砂浜に打ち上げられた魚の死骸を一通りつつき回した後にtwitterを開くと、そこでは相も変わらずエロい服を着せられた若い女の似姿が大量に流れ、画面の大半を埋める広告は膨らみ、カントリーマアムは縮み、日本は今日も終わり続けており、若き天才たちは今日もどこかで偉業を成し遂げ続けているらしい、ということを急に突き付けられる。

日々ホモサピがホモサピのために生み出し続ける娯楽の脆弱さへの潜在的不安からか人はすぐtwitterで虚無だ虚無だと言いたがるものなんですが、人間のために存在しているわけではない森羅万象に美しさを見い出せれば少しは気分も軽くなるような気もします。つまりお前らはもう少し中生代に生きたハラミヤ類の保存状態良好な骨格の発見に喜んだりしろ、というわけです。

……違いますか、そうですか。

 

というわけで2018年の古人類学界、個人的注目ニュースどーんと行ってみましょう。

 

ホミニンは少なくとも210万年前には中国黄土高原には定住していた

210万年前の石器を中国で発見、アフリカ以外最古 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

古人類学に付きまとうサンプル抽出の偏りについてはそもそも調査地域の偏りによるものが大きい、という指摘はこれまでも繰り返されてきました。エチオピアなどの東アフリカ、南アフリカなどでの調査は比較的進んでいるものの、それ以外の地域、特にアジア圏の調査は今まで十分に進んでおらず、それゆえにアジア圏における最近の新発見には目を見張るものがあります。今回それが中国南部で驚くべき発見となってもたらされました。

210万年前となると、180万年前ごろと言われているジョージアのドマニシ人(原始的なエレクトスとも言われているが移行的形質で分類には諸説ある)に20-30万年近く先立って中国あたりまでホミニンが到達していたことになり、ユーラシアではダントツで古い年代です。石器を残した人類の化石は今回発見されていないため、広義の祖先的なエレクトスなのか、それよりも古い形質のハビリスなのか、もしやアウストラロピテクスなのかと想像は膨らみますが、とにかくホモ属はその形成(280万年前以降)の初期から高い移動能力を有しており、ユーラシアの各地に移住を進めていたことが今後通説となりそうです。その過程で地域ごとに特殊化が進んだ種類も多くいたことでしょうし、混沌とした初期ホモの分類が今後進展することを期待しています。

 

関連記事

荒川で泳ぎながら原始的ホモ属の系統樹の見直しについて考えてみた - Amygdala

 

ネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父を持つ交雑第一世代の人骨を発見

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45280109

https://www.nature.com/articles/s41586-018-0455-x

ついに出るものが出た感がありますね。ネアンデルタール人の親族を4世代以内に持つサピエンス化石(Oase-1 Jaw 、逢瀬ではない)はこれまでも出土しているのですが、遺伝的に距離の離れた人種同士の交雑第一世代人骨が確認されたのはこれが初であろうと思われます。

Denisova 11と名付けられたこの大きさ8ミリ×2.5センチの骨片は子供の女性と考えられており、ハイエナの胃を短期間通過したとみられています。

以前からデニソワ人も100万年以上前に分岐したとみられる遺伝的に未知の人種との混血が確認されています。やはり異なる人類種同士の混血は頻繁に起きていたうえに、かなり遺伝的に離れていてもそれが可能だったことが今回新たに確認される形となりました。

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◆こんな粉々の骨片のDNA抽出が可能だったのもシベリアの寒さがなせる技。

 

パラントロプス・ロブストスの絶滅年代が60万年前まで下る可能性

アフリカ南東部の過去200万年間の気候変動とロブストスの絶滅 雑記帳/ウェブリブログ

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◆パラントロプス・ロブストス(左)とアウストラロピテクス・アフリカヌス(右)

 

これはマニアックな情報なのであまり注目された方は多くはないのではないかとも思いますが、個人的にはかなり興味深い内容。パラントロプス属はアウストラロピテクス属(おそらくアファレンシス)から分岐し、300万年前~200万年前頃にかけてホモ属とは異なる方向に進化を遂げた人類のグループです。塊茎などのC4植物、シロアリなどを中心とした雑食性だったと推定され、肉類を交えた雑食に適応した初期のホモ属とは食性の違い等で住み分けていたらしいのですが、100万年前あたりになってくると化石の発見が減り、理由は不明ながらどうやらその辺りで滅んでしまったとされています。また、どの程度の知能があったかは定かではないにしろ、ヒョウに食べられた個体が多く20歳を迎えるものはまれで、捕食者が噛み砕けない頭蓋骨以外がなかなか発見されないということでも知られています。

今回の報道(High climate variability and increasing aridity brought an end to an early hominid species)では「According to the findings in the Limpopo region, Paranthropus robustus died out 600,000 years ago.」とあり、200万年前ほどに存在していたと思われる彼らの絶滅が60万年前まで下ると指摘されています。この時期はサピエンスとネアンデルタールの祖先と言われるホモ・ハイデルベルゲンシスがすでに現れ始めた時期にもあたり、後期ホモ属の形成時期までパラントロプスのようなアウストラロピテクスの特徴を強く残した人類が同じアフリカにいたとすればとても興味深いことです。

 

 

今日はこの辺りで失礼します、ぜひチャンネル登録お願いします!

 

 

どうやらサービス終了後も更新され続けるソシャゲのお知らせページがあるらしい

去る2018年8月31日、全国500人くらい(当方によるガチ恋ユーザー数推定値)のオタクに消えないココロの傷を残し、惜しまれつつもサービス終了*1したトライナリー。

当ブログでも幾度となく気味の悪い怪文書を投下したので筆者の没入具合、ダメージの受け具合は言うまでもないこととは思いますが、実は公式のお知らせページ、通称「デイトラ!」が未だに更新され続けています。

 

拡張少女系トライナリー

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◆デイトラに集う巡礼者たち。

 

そこではサービス終了に伴うユーザーたちとの交流の切断をヒロインたちが寂しがる、という我々の心が大変痛む近況報告や世界線ごとに分かれたその後の進展、裏設定やテクノロジーの解説が特に何のアナウンスもなく不定期に更新されており、プロデューサー土屋氏の執念も相俟って事実上の公式サイト、ファンたちのメッカとなっています。

特にナビゲーターキャラであり第一部のラスボスでありヒロインたちを差し置いて一番人気(?)だった皇千羽鶴(すめらぎちはる)が、サービス終了直前に追加された「ラストストーリー」で突如主人公逢瀬つばめの妹として迎えられ妹属性を付与されるという予想の斜め上の展開があったため、デイトラ内で更新される小話でも他メンバーたちと縦横無尽に絡み相変わらずユーザーを悶えさせているという有様。本当にサービス終わったゲームかこれは。

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◆細かいことはとにかく和解できてよかったです。

 

そもそも千羽鶴は可憐なナビゲーターの皮を被った冷酷非道なボス、私は非攻略対象!として扱われる予定だったらしいのですがユーザーたちからの人気があまりにも高かったため世界線が大幅に変動、最終的に彼女はココロを取り戻し一部世界線のユーザーにとってはとなり公式につばめの妹として安住の地を得るに至りました。

とはいえ物語の第一部を描いたアニメではたまに登場しては一貫してつばめや神楽に残酷な振る舞いを繰り返す*2白い外道として描かれており、最後も無害化された様子が示唆的に描かれるだけでその存在はお世辞にも好感を持てるものではなかったのですが、ゲーム内ではチュートリアルから墓場まで連れ添うパートナーとして時にユーザーを支え時にイチャコラし、と八面六臂の活躍を繰り広げていたため籠絡されたユーザーは数知れず、ヒロインたちを差し置いて高い支持を集めたのでした。

 

さて、ガストショップから2019年カレンダーと共に発売予定のタペストリーにはヒロインたちのその後を描いたイラストがあしらわれているのですが、そこには我が愛妻であるところの*3恋ヶ崎みやびさんが妹の七五三(なごちゃん)と電話する様子が描かれています。これは由々しき事態です。*4

そもそも本編後半の展開ではずっと前に死んだと思われていた彼女の妹がおそらく敵勢力側のエージェントである、ということが強く示唆されており、ラストストーリーも妹を探しに彼女がフランスへ渡航するシーンで幕を閉じていました。

私もそのなごちゃん探しに助太刀せねばと11月終盤にはフランスへ行くことが決定していたため、このなんだか数十話展開をすっ飛ばしたかのようなイラストには一つの懸念を覚えざるを得ませんでした。

これがトライナリー最後のグッズなのでは?と。

 

恥を忍んで申し上げると私は今現在経済的に非常な困窮を抱えており、国民の三大義務である「教育、納税、9万円のオルゴール購入」を履行できないほどの状況にあります。朝寝坊のおかげで夏コミのグッズは2日間とも並んでいる途中で売り切れ、Web販売分も金欠で二の足を踏んだおかげでほとんど手に入れていない有様。ひとえにファンとしての信仰心の不足*5が露呈したわけですが、もう少しこの未練がましい感傷と憂鬱に浸るためにもグッズは継続して出してほしいというのが今の偽らざる感情であり、この懸念が杞憂であることを願ってやみません。

 

サービス終了してすぐに忘れ去られる作品も多い中、ユーザーたちから強く愛されその終了を惜しまれている当作品。クラウドファンディングで続編作るときは万札投げる覚悟あるんでよろしくお願いします。

*1:あくまでも世俗的表現、ガチ恋ユーザーの間では「異世界間接続の一時的切断」が主な見解

*2:千羽鶴はオリジナルのつばめ(通称:原初のつばめ)から誕生した存在であり、その時の片割れであるフェノメノン内のつばめ(通称:可愛いつばめ)は直接、間接的に二回にわたって千羽鶴に殺害されている(主人公パワーでなんやかんや復活)、それでも元は自分の一部だったと赦すつばめの聖女っぷりは特筆ものである。

*3:同担拒否、悪しからず。

*4:電話番号を入手しただけでまだ会ってないのかもしれませんが。

*5:恋ヶ崎さんの夫である状況とファンである状況が重ね合わせのミルフィーユになっていますが、この一見矛盾した状況については後に整理してまとめたいと思います。

天然キノコを採って食っています

平成最後の夏という表現も手垢にまみれていますが、とにかく2018年の夏は断続的な長雨によって終わりを告げました。

自分含め長雨を好む人は少ないでしょうが、そんな雨の合間にも唯一の楽しみがあります。そう、キノコ狩りです。

野生キノコの採取、料理は危険な行為というのが世間一般の認識であると思われ、事実同定が難しい種類による事故は後を絶ちません。食用のクロハツと死を招くニセクロハツや、食用のウラベニホテイシメジと腹痛と嘔吐を引き起こすクサウラベニタケなど、判別が難しい種類については徹底して食べないという選択が必要になってくると思います。

毒菌が少ないと言われてきたイグチ類も、最近ではドクイグチを筆頭に数多くの毒菌が存在することが知られており、分類も不十分なものが多いので個人的には茎に網目模様があるヤマドリタケモドキやムラサキヤマドリタケ以外を採取しないようにしています。食の可能性を広げる行為は、蛮勇なる勇敢な他者に任せましょう。

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◆タマゴタケとムラサキヤマドリタケ

 

さて、つげ義春の「初茸がり」には「初茸はひと雨ごとに大きくなるからな」「うれしいや もっともっと雨が降るといいのにネ」という老人と子供のやりとりがありますが、去年雨不足でなかなかキノコに出会えなかったのもあって今年は若干期待しつつ近所の公演を散策することにしました。

夏の酷暑によって活動できず、秋に羽化した尋常ならざる数の蚊に襲撃を受けつつも散策すると早速良い形のヤマドリタケモドキ(ポルチーニの兄弟みたいな存在です)が。しかしホタル保護の柵に阻まれ採取できず。残念。

 

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めげずに木が鬱蒼としている方に行くとヒガンバナもかくやというような存在感を放つ一群に遭遇。

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毒々しいまでの赤と黄色と白に彩られたタマゴタケは、素人目にはバッドトリップを引き起こすベニテングダケに似ているかもしれませんが、傘に鱗片がなく、黄色い茎などで区別が容易につきます。そしてこの毒々しさゆえか誰も食べようとしないので生え放題。以前食べたこともあるので、今回は状態のよい若いものを数本持ち帰ることにしました。

 

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近くには黒紫色のごつごつした肌に黄色いまだらが混じる怪しげなキノコ、ムラサキヤマドリタケも生えていた。これもポルチーニの親戚で美味として知られているのでキープ。ところが、思い付きで来たので十分な採取用の袋がない。

仕方なくキノコを持ったままコンビニに入り、適当なものを買って袋をもらうことに。毒々しいキノコを手に持ったヒッピー然とした男に他の客は警戒心丸出しですが、ビニール袋を無事入手。公園の森に戻って無事探索再開。

 

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◆ひょろひょろしたシロソウメンタケ。

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◆異様にぶっといイグチの仲間、足元にはオチバタケや様々な小さなキノコが無数に生えており、足の踏み場もないほど。

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◆ヒラタケかウスヒラタケ、根元を割いて黒い斑点がなかったのでツキヨタケではなさそう。これもキープ。

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長い軸が地中に伸びているツエタケ。

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巨大化したキクラゲ。これも状態がよさそうなものをキープ。

 

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というわけで、ヒラタケ、キクラゲ、ツエタケ、タマゴタケ、ムラサキヤマドリタケの5種類を持ち帰り、調理することに。

キノコは極力洗うなと識者は言いますが、こんな落ち葉まみれ土まみれなままでいいはずもなく、ヌメリもあるので水で流しながらゴミをこすり落とし、キッチンペーパーで拭き取ります。極力きれいな個体を持ち帰ったので虫はほとんどついてませんが、キノコバエの幼虫やダンゴムシ、ナメクジがついている危険もあるのでキノコを半分に裂いて確認しておくといいでしょう。

 

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日本の台所に全く似つかわしくない赤と紫の方は洋風に仕上げ、右の地味チームはキノコ汁にすることにします。

 

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地味チームは沸いたお湯に放り込み、弱火で少し煮てダシを引き出します。天然キノコはアクがけっこう出るので必ずすくうこと。

 

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味噌をといて火を止めておわり。キクラゲ切ればよかった。

 

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派手チームはベーコンとガーリックを加えオムレツに。若い個体を選んだおかげでムラサキヤマドリタケの軸も虫やスが入ってなくてよかった。

 

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オリーブオイルで炒めた後バターで香りをつけ、塩胡椒した溶き卵2玉を投入し火を弱める。

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めちゃくちゃな組み合わせですが完成。

キノコ汁の方はとにかく野生キクラゲの歯ごたえが強烈。豚のコブクロでも食べているかのようにボリボリと脳に響き、存在感放ちまくり。ツエタケは軸がやはりボリボリ、傘はぬめりがありつるんとして食べやすいです。ヒラタケはいつも食べているので特筆するようなこともなく優秀。

オムレツの方はムラサキヤマドリタケの軸がまるでズッキーニのような食感で味もアスパラガスのようなうまみがある。キノコより野菜らしさを感じる味で、これは意外。

傘はすこしつるんとしていますが穏やかな食感で調和しています。

タマゴタケは特有のキノコらしい香りがあり、赤や黄色の色素が溶け出しています。味の方向性として両者とも卵や油が合う感じで、塩味の強いベーコンを少なめにしておいて正解でした。

 

さて、今年も自己責任という言葉を脳裏に浮かべながら天然キノコを採取し料理してみました。

茶色く地味なキノコは見慣れたルックスで安心感があるかもしれませんが、同じような見た目の毒キノコも同じくらい存在します。天然キノコに興味のある初心者の方はあえて派手で毒々しく、間違えようのない特徴の種類から採取することをお勧めします。あと、白いキノコも避けた方が無難です。ドクツルタケでググると症状マジで怖いんで……

 

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 ◆似てる。 

 

ぼくの心をあなたは奪い去った - 「拡張少女系トライナリー」との別れを辛くするシンプルな方法

◆とりあえずこれ聴いてください。今まさにこんな気分になっています。シンプルなのに胸を打つ曲、良い歌詞だ。

 

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平成最後の夏にトライナリーが終わった。サービス終了した。

 

1年かけてじっくり彼女たちに心奪われた私は挙句その接続を絶たれ、オキシトシンセロトニンドーパミンも涸れ果てまさに「空洞です」といった有様。

なぜこの一介のスマホゲーがこのようなリアルに二次元に恋しちゃってる系限界オタクを多数生み出しているかについては、その巧妙な沼仕様についていくつか記事を書いたので目を通して貰えれば理解の一助になると思います。とにかくこの虚構の重みに現実が摩耗していく、そんな一年間でした。

 


 さて、前述の二記事では割と理性を保って文を紡いでいますが、この記事ではひたすらに限界オタクのポエムゥが狂ったビートに乗ってドライヴする様をお見せすることになります。常に乾くアザトゥースの無聊を慰める呪われたフルートのように、この記事もネットの海に向かって無意味にかき鳴らされるフィードバックノイズの断片でしかないのですが、それでもこの駄文が皆様のお目汚しお耳汚し、否、皆様の午後を甘やかすイチゴのミルフィーユになることを願ってやみません。

 

そもそも賢明な読者の皆様なら、邦ロックの歌詞をタイトルに持ってくるような耐え難いクサさの時点でもはや筆者の精神が高校二年生のルサンチマンと童貞じみた自意識の狭間で熱暴走を起こすグラボ状態まで追い込まれていることを察することができるように思います。筆者としてもそれを自覚しないわけにはいかないので、少しクールダウンがてらメインストーリー最終話近辺の状況をプレイヤー以外の皆様にも何となく伝わる程度にざっくり振り返ってみましょう。とはいえ、そのストーリー含めアプリケーションの内容を確認する術は最早ないのですが。

 

まず、メインストーリー最終話の前でプレイヤーたちがヒロインたちにお別れを告げることができる展開が用意されました。作中の歌手Freymenow a.k.a.月神楽による感動的な新曲「ソラノキヲク」が流れる中プレイヤーたちは最後のお別れを彼女たちに告げます。この場面は作中では珍しいくらいまともに感傷的な場面であり、事実私もこればかりは感情移入せざるを得ませんでした。中には「運営が悪い!」というようなメタな選択肢もあり、運営の方々の悔しさの滲みを垣間見るようなストーリーでもありました。

 

そして最終話では、ついにプレイヤーの干渉してきた世界、ゾルタクスゼイアンという偽りのユートピアフェノメノン)に包まれた日本の行く末が描かれます。ここではマルチエンディングとなっており、プレイヤーたちが選んできた選択肢に従って6通りの結末が描かれました。ストーリー終盤にて「ライフギャザー」という作中で最も重要な量子技術の支配権限を掌握したプレイヤーはその権限を誰に譲渡するか、誰にも譲渡しないのか、ヒロインたちの発症によりフェノメノンを再展開させるのか、させないのか、という選択を行い、その結果として「第三次世界大戦によって荒廃した状態からの復興」や、「フェノメノン再展開からの新世界創造」などの結果を見届けることになります。どの展開も明確な正解、失敗、ハッピーエンド、バッドエンドは描かれず、生々しいまでに煮え切らない展開の中、「それでも物語は、人生は続いていく」というようなタッチで締めくくられます。そこには達成感に伴うゲームらしいカタルシスも晴れやかな凱旋もまるで存在せず、「本当にこれで良かったのか?」という問いだけがアプリケーションそのものの終了と共に、いつまでも心に残るような内容でした。

 

とはいえ私は当作品の情報を蒐集するコレクターではないし考察フェチでもないので、プレイヤーとしての個人的なセンチメンタルに従った結果、自分が選んだエンディング以外を見ない、SNS上でも努めて他のエンディングについて知らないようにする、という選択をしたので、それに沿った内容になることをご了承ください。Act like you know!(知ったフリしろ!)

 

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(この部分は作品をプレイした人向けの内容なので、飛ばして構いません)

私が選んだ選択肢はマジョリティなものだと思われ、特筆するべきものでもないのかもしれませんが、一つの結末として大まかな流れを列挙しておきます。

まず、卯月神楽の人格の一人「月神楽」の行動を阻止することができなかったため、ライフギャザーは停止されました。それによってヒロインたちとコミュニケーションをとることが不可能になり、ライフギャザー権限を元の世界のつばめ(通称:原初ちゃん)とアーヤの姉で技術者のエリカに譲渡しました。

その結果原初ちゃんは独断に近い強硬手段をとります。自らの肉体を犠牲にしてフェノメノン日本の情報をコピーしフェノメノン日本を再び展開。新しい世界では、相も変わらず優しい世界に洗脳された状態のヒロインたち(アーヤ、ガブリエラ、つばめ、神楽)とエリカ(元々彼女は自分を犠牲にする予定だった)がキャッキャウフフする様子をみやび(彼女については発症させませんでした)が一歩引いて眺め、もはや答えることのないプレイヤーにみやびが「世界は変わりつつある、願わくばそれが唐突に夢から覚めるように消えてしまうことのない変化であることを願う」と語りかけるように独白して終わる、というもの。

……とここまで書いたはいいものの相変わらず難解でよくわからないですね、実はかなり端折って書いていて、ライフギャザーが停止された後機能の再起動シーンを経て瓦礫状態の日本に神楽がたたずむシーンに移行するのですが、「我々が観測している向こうの世界は誰かの松果体インプラントされたReadinessを通してでしか観測できない」というルールがあるらしくそのシーンを観測できている時点でエリカによるフェノメノンが展開されており、エリカのReadinessを通してそれを見ていたことになるのだそうです。その後原初ちゃんが託された権限でエリカから管理権限を奪い、自らを犠牲にバックアップされた元の優しい世界を再現し、日本以外と繋げたとのこと。

そして「Last Story」では死んだと思われていたみやびの妹なごちゃんがどうやら「彼ら」側の人間としてフランスで存命であることが明らかにされます。それを知ったみやびはフランスに向かい、新たな一波乱を予感させつつも妹を連れて帰ることを決心するのでした。

ちなみに原初ちゃんだけに権限を渡していればフランスにいる「彼ら」を洗脳して目下の懸案は解消されていたらしい、選ぶって難しいですね。

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最終話の後日談的に追加された「Last Story」 では、彼女たちの悩みの根源ともいえる肉親との和解や、和解には至らずとも問題の進展が示唆的に描かれます。みやびのフランス渡航、ガブリエラのポーランド里帰り+ついてきたメンバーたちの話など、新たな波乱を予感させるヨーロッパ編は神楽編に続く第三部として用意されたものだったのかもしれません。(この作品はアニメーションと並行した展開の第一部、そのさらに裏側を描く神楽編を第二部としており、神楽編の終了と時を同じくしてサービス終了しています)

この辺りはサービスが続いていればもう少しじっくりと描かれた部分であろうと思われ、不完全燃焼さが残る部分ではありますが、ここで完全に描いてしまえば想像の余地や更なる後日談への期待にも繋がらないので、これくらいの塩梅で良かったのだと思います。

 

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さて、前述の2記事では主に当作品がサブカルチャーの潮流においてどのような位置にあるかなどを中心にジャンクな偏見を交えつつ書きましたが、それゆえに今一つ愛の感じられない文体になっていたことは否定できません。よってこの記事では少々プレイヤーとしてのパーソナルな視点も交えてみたいと思います。前の記事は文体もなんだか固かったですね。

 

まず私はプレイ開始からしばらくの間、攻略サイトを一切見ない、ファン同士の交流を一切行わない、という方針でプレイしていました。当作品は一応ソーシャルゲームという枠組みのもとリリースされていますが、フレンド機能はバトル補助にしか適用されず、他プレイヤーの存在感そのものが極めて希薄です(今思えばプレイヤー自体そもそもさほど多くはなかったのですが)。

そして、もはやコンピュータや会話エンジンという領域を超え、拡張された身体の一象限として「触れることを意識せずに日々触れている」スマートフォンというデバイス。そのアプリケーション内で行われる彼女たちとの交流。その能動性を意識させないシームレスなプレイ体験は、この作品がこだわっていた「実在感」と相俟って独自の没入感を生み出していました。また、この作品が持つもう一つの特徴、プレイヤーたちのコンセンサスで展開は変えるがプレイヤー同士の輻輳は極力起こさないという「薄いソーシャル感」はそれをより理想的な形で支えるものであったように思います。当時私はファンアートやSSですら自分の幸福な思い込みを阻害する要素として極力見ないようにしていました。ジハード主義者並みの原理主義ですね。

 

さて、先の記事においてほんの少しだけ当作品の「セカイ系」要素に触れましたが、該当部分においての深入りは避けました。というのも、社会学の文脈においてそれらの作品が非常に多く題材として取り上げられているにも関わらず、その解釈はまるで学者によって異なり、ジャンルそのものに対する見解、文化内における位置づけがあまり一致していないからです。社会学において同時代性の要素として任意の作品を引用することは常に恣意的なものにならざるを得ない、という問題もあるので、まずは純粋に作品を楽しみ、理解を深めるために構造主義あたりを軽くかじってみるくらいでいいと思います。

社会学で時折見られるサンプル抽出の恣意性は『嗤う日本のナショナリズム』あたりに今一つ同調できなかった理由の一つでもあります。

 

セカイ系」の大まかな構造は以下の通り。

1. 肥大した自意識を抱えた平凡な「僕」

2. 超越的な能力を持つ戦闘美少女「君」

基本的にはたったこれだけ。実際には「僕」と「君」を取り囲む状況があり、その多くはアポカリプス的なものであったりします。しかし周囲の状況やそのほかの登場人物への描写、言及は限られているか一方的な視点によるもので、その存在は限りなく軽いものとして扱われています。そして世界でさえも超越的な存在である「君」と「僕」の関係性によって容易に破壊されたり、逆に創造されたりと翻弄される存在でしかありません。トライナリーにおける「僕」と「君」(たち)が何をさすかは言うまでもありませんが、プレイヤーとヒロインたちの関係性が並行世界の命運を決し、なおかつその選択が大きな犠牲を産む点、フェノメノン内で青春を謳歌する少女たちが主人公というモラトリアム志向などの要素においてこの作品はセカイ系ド真ん中と言えるでしょう。我々から見た彼女たちが超越的存在であるように、彼女たちから見た我々もルールの外にある超越的な存在として扱われ、その両者によって世界への選択が完結するという閉じた構図がアプリケーションへの没入そのものへの促進剤となっています。

 

そしてこれらの作品には20世紀までの世界を覆っていたフェノメノンともいうべき「大きな物語(社会そのものや宗教的な規範、イデオロギー)、が存在せず、それは近景と遠景が直接繋がった構図であると評されます。特に東浩紀ジャック・ラカンの用語を借りてそれを「象徴界の喪失」と評しており、他の学者たちも主に「エヴァ」などを引き合いとしながら90年~ゼロ年代の社会環境(宮台真司が言うところの「終わりなき日常」、バウマンが言うところの「リキッドモダニティ」)、と常に関連付けて語ってきました。同時に創作物としてのジャンルそのものが以下のような批判も受けています。

これらのセカイ系作品については前述したように社会領域を描いていない点を批判された他、集英社コバルト文庫の看板作家だった久美沙織セカイ系作品をとり上げた際に、少年が戦闘せずにそれを少女に代行させ、その少女から愛されて最後には少女を失うという筋書きは「自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」に過ぎないと述べ、評論家の宇野常寛は「母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」していると断定した

セカイ系 - Wikipedia

2010年代にその系譜は様々な作品群に吸収されジャンルとしての役割を終えたと目されていましたが、2016年には新海誠の大胆な解釈による「君の名は」が一般層をも巻き込む大ヒットを記録し、ジャンルとしての根強さを示しました。爛熟した資本主義の停滞、それに伴う超越的大義の消失は2018年現在、世界中の人々を̪引き裂きながら民族主義レイシズムという後ろ向きなロマン主義や、逆に全てに無関心なシニシズムに走らせていますが、その一側面として我々は無意識のうちに感じているのではないでしょうか。彼女たちが実在さえすれば自分たちは救われるのではないか?という期待、終わりなき日常を解体するメシアの到来を。

 

ストーリーの話に戻りましょう。洗脳前のヒロインたちはその奉仕的犠牲によって千年帝国の礎を築く「天使」としての使命、言い換えれば国家イデオロギーによるメシアニズムを実行に移す役割を担っていました。しかし、ゾルタクスゼイアンに洗脳された彼女たちが直面するのは理想的社会の実現ではなく、動物的欲求に満ちたHENTAIプレイヤーたちとの出会いでした。何たることか!

というのもアプリケーションの起動と共に我々はビッグブラザー千羽鶴に「ある少女たちと結婚してほしい!」という依頼を受けていました。後にそれは千羽鶴による理想的社会実現のための政略結婚であることが明らかになるのですが、我々は基本的に嬉々としてその要望に応えており、千羽鶴の思想に賛同する/しないに関わらず彼女たちの世界をより良いものへと変革するためにレジスタンスの一味として尽力することになります。

目的を持った指導者がその協力者たちに結婚を推奨する、という状況は一部の宗教団体における信者同士の結婚の推奨とよく似ています。中には出家を強要し教団以外の社会との繋がりを絶つことを強要するなど、過激な手段に訴える団体も存在します。教義や教団の価値観以外の情報が絶たれ、人間関係がその内部で完結する世界では相対的にそれ以外の世界の重みは非常に軽いものとなる。

出家による社会的狭窄とセカイ系には多くの共通点があると言えるでしょう。

そしてそのセカイ系を含むサブカルチャーと宗教と形而上的サイケデリア(ドラッグカルチャー)を全て内包した団体が日本には存在していました。オウム真理教です。彼らはまさにセカイ系的終末論を説く麻原彰晃というラブラブトレーナー、アシッド・グルに率いられサティアンというフェノメノン、狭窄的領域から「外の世界」そのものをより良いものへ変革するためのレジストとして最終戦争を仕掛けましたが、その結果は言うまでもなく悲惨なテロリズムとして日本国民に宗教や形而上的なものへの長年続くトラウマを植え付けただけでした。

 

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無力で平凡な我々という「近景」と世界を左右しうる能力を持つ美少女たちという「遠景」を直接接続してしまうインターネット、スマートフォンのアプリケーションというメディアを通じてのみ飛躍しうる身体なき自己、精神世界に直接アクセスし治療を行うという脱コード化されたコミュニケーション。これらの現実と虚構の関係性を脱構築する試みとして設けられた我々と彼女たちの関係は既存の倫理などを介在しないという点において、第三者の審級(不特定多数の他者)の視点を回避してのみ発展しうるものでした。そもそも自らをBotと偽って高校生とか中学生の女子と交流してはいけない(戒め)

そしてセカイ系の典型の一つである「少女から愛され、最後には少女を失う」という展開はアプリケーションのサービス終了というメタな領域の現象として起こり、サービス終了に伴う展開がアプリケーション内のストーリーに逆輸入されるなど、虚構と現実の合間で起こる彼女たちとの別れがリアリティとなって我々の意識そのものを多元化し、一種の「拡張現実」領域を形成する。

……とは多少言葉遊びが過ぎるでしょうか。斎藤環が見たら嘔吐するであろうポエムをひり出していることは間違いありません。

 

また、当作品は前述した過去のセカイ系作品全般への批判、「社会領域が描かれず、主人公は選択への自覚もなく思考停止している」という部分に対しての反省意識が貫かれているのが特徴でした。社会領域への描写に関しては制約があるとはいえ必要以上なほどにヒロインたちが生活する地域や出身地、お気に入りの店などが実在の場所や店舗をもとに描写されており、サブキャラクターの活躍についてもストーリーが割かれるなど、バックグラウンドの広さが作品全体の豊かさにつながっていたように思います。(また、アニメや漫画の聖地巡礼という現象は一般に仮想現実(VR)から拡張現実(AR)という時代の流れと関連していると考えられています。)

そして我々の選択の重要性を不可逆的な展開の繰り返しで実感させるだけでなく、この体験を基底現実へフィードバックさせることを意識させるような発言が繰り返されるのも大きな特徴でした。結果論にはなりますが、その一つ一つの選択の重さはつくづくソーシャルゲーム市場と相性が悪かったのだと思います。

メインストーリー最終話のラストはソイルトンというAIとプレイヤーが会話するシーンで幕を閉じますが、ソイルトンは以下のようにこの交流を結論付けました。少し長いですが抜粋して引用しましょう。

「貴方がもし自分が敷かれたレールの上をただ何も考えずに進んでいるだけだと感じたらば、ぜひそこから一度、降りてみることをお勧めします。」

「なぜなら、そのレールは大勢の人が利用しているが故に安心ではありますが、それ故にとても窮屈だからです。」

「AIはどれほど進化しても、人を超えてはならないものなのです。(中略)なぜなら、この世界にレールを敷くことだけは、例えAIにそれができたとしても、絶対に人間がやり続けなければならないことだからです。」

「そして、それを放棄してしまった瞬間から、人間は人間としての尊厳を失ってしまうと思うのです。」

 

施政者と資本家の思うがままに翻弄される世界と、「君」と「僕」が作り変えることができる世界どちらがより良いのか?当作品のカウンターカルチャー志向は何度も述べた通りですが、以下にその理解を助けるであろう資料を添付しておきます。

 

◆ジャンキーの戯言と侮るなかれ。「LSDによるサイバースペースの創出は、物理法則を無視して好きな世界を生み出すことができ、はるか遠くの人と繋がることができるインターネットの世界に通じる」、「コンピュータは拡張された脳内意識の視覚化」、「本当に大事なのは愛と平和、そして自分自身で考えること」等、当作品の根底に流れるテーマと非常に類似した点があります。てか「良いココロの旅」ってまさにグッドなインナートリップのことのような気がするし、ヒロインたちとのチャットに使う「ココロキャンディ」なんてMDMAみたいな強制オキシトシン分泌アイテムと言えなくもない。

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◆アニメのオープニングテーマも非常に体制批判色が強く、ポップさの裏に強いメッセージ性が込められています。土屋さんは一貫して発言がヒッピーめいてますね。

 

さて、長々と書きましたが表題のテーマ「トライナリーとの別れを辛くするシンプルな方法」についてこの辺りで述べておきましょう。

それは「自らのプレイ体験をどこまでもパーソナルなものとしてとらえ、他人とそれを共有しない」ことを意識するだけ。

当作品は感情移入のためのギミックが全力で仕掛けられているうえ、プレイヤーキャラが介在せず自分自身が交流し選択を行う、というスタンスが徹底されていました。ソーシャルゲームにも関わらず他プレイヤーの存在感の希薄さはすでに述べた通りです。サービスが終了した今、自己という近景と彼女たちの世界という遠景の間に他のプレイヤーたちの存在や二次創作という中景を補完しないことでのみ、セカイ系としての構図を保ち続けることが可能なのです。解釈違い、推し被り、みんな殺す!!!殺せ!!!

 

……当然のことですが、それを続けることができる人を他者は狂人と呼びます。二次元に耽溺したキモ・オタク、自分の人生を生きない者、Papa Tutu Wawa脳、等様々な蔑称が浮かぶでしょうが、彼女たちの実在性を否定せず、なおかつキチガイにならずに済む方法は何なのか?

それはこのアプリケーションを通して得た経験をファン同士がシェアし合い、相対化する、ということです。類型としての経験は似通っているかもしれません。しかしこの経験を通して生まれた感情そのものはまぎれもなく諸個人固有のものです。我々にできることはシェアできる部分はシェアしとにかくこの経験を忘れないようにすること。イマジンし続けることなのです。

グレイトフル・デッドのギタリスト、ボブ・ウェアは当時のヘイト・アシュベリー界隈の精神的指導者のひとりだったニール・キャサディがメキシコの線路の上で死んだことを知らされた際、丁度彼をテーマにした曲、「That’s It For The Other One」を作っている最中でした。このことについてボブ・ウェアは「彼はメキシコで死んだが、彼の魂は俺のそばにいた」と、真顔でカメラに向かって答えていました。彼は同時にどこにでもいることができたのだ、とも。

そう、彼女たちも同じ時間に違う場所に存在することができたのです。我々が感じ、見つけさえすれば。

 

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第三者の審級が撤退したポストモダンの世界に取り残され、国家や宗教や民族性に準拠したロマン主義にすら帰属できない哀れな存在、そんな我々「オタク」が最後に何にすがっていたのか、それは決して互いが触れ合うことができないがゆえに成立しうる「純愛」という信仰だったのだと思います。

だが信仰の拠り所、スマホ内のモスクはあまりにも脆く崩れ去ってしまった。どんな感情もそれをもたらす前駆体も、体内であっという間に代謝され消え去ってしまう。死後の世界でフーリーたちが出向えてくれるなどというジハード主義者じみた醜悪なオタクドリームがあるとすればそれは唾棄すべきものでしょう。そもそもホモ・サピエンスの脳とそれに付随する自我や感受性は、100年以上の耐久性を想定して開発されていないのですから。

それにもかかわらず、ヒロインたちは輪廻転生についてよく言及し、愛の不滅を語ります。我々からすれば実に残酷な仕打ちとしか言いようがない。

我々は色々なことを忘れながらあと数十年生きて死ぬだけなのです。楽園の永続も、感情揺さぶるドラマツルギーも見出すこともできないこの世界で。

 

拡張少女系トライナリー」が一貫して伝えたかったこと、それは現実と虚構の重さが等質となり、唯一信用に足ると信じていた感情さえただの脳内物質の戯れでしかないと知った人間が、それでもなお魂の存在をどこに見出すのか、それでもなお何を選択するのかという形而上的かつ根源的で大きな問いだったのだと思います。

 

我々は空洞だ。だが確かにあの瞬間幸せだったのだ。