Amygdala

Turns on

ぱりぱり外側中身はふわふわトーキョー

ハーマン・メルヴィルの短編小説に「バートルビー」という一篇がある。

ウォール街の弁護士が雇った男バートルビーは筆耕以外何を頼んでも「I would prefer not to」(「しない方がいいのですが」、という風にも訳されるが元々英語としても違和感のある言い方らしく、日本語に訳するのは難しいらしい、とにかくやる気のないことをあいまいに示している)という奇妙な文句で拒否し、最後はその頑固さゆえに職を失い投獄され餓死するという奇妙な話だ。

どうやらこれはメルヴィル流の都市や物質文明に対するアイロニーを当時なりに示した作品らしいが、ドゥルーズをはじめとした人文系の論文でも示唆的に用いられる作品として知られている。何もしたくないのは究極の抵抗であるとか、好きなものも好きでないものも拒否する破壊的な性格を持つだとか、解釈は様々だ。

また、抑圧された野生なるものが物質文明や都市の中では悲劇的な最後を迎えるというあまりにも自明な展開が今日においても何も変わっていないことにも気付かされる。そもそも資本主義社会を変革しようとわが国で起こったラディカルな活動は全て流血の惨事に終わり、多摩川に迷い込んだアザラシは死に、逃げ出したフクロウも車に轢かれ、異質なるものへの恐れと同一性への志向は人々をより一層消費レースに駆り立てただけだった。

そして令和の時代を迎え、我々はひたすら貧しさと無気力の狭間で横たわっている。もはや私の周りの人々は老いも若きも25年前には敷かれたレールとして存在していた消費レースから振り落とされ、その日暮らしの繰り返しと老いたる親の介護に明け暮れている。子供は生まれず、死人の見送りに蓄えは費やされる。

 

----

 

と、ここまで書いてあまりに凡庸なペシミストぶりに自分で嫌気が差してしまった。哲学科の大学生かよ。

こんな具合で書きかけで放置された記事がいくつも溜まっているわけだが、あまりにも金欠著しく人権が失われたために僕もやっと仕事を再開した。無職改め「器官無き身体」を自称する以上、様々な技能は身につけなければならない。

今は雇われの身として職人たちの手元などをサポートする雑用で日給をもらっている状態だが、地下の浸水したピットで真っ暗闇の中膝まで泥水につかり手作業でいつ終わるとも知れぬ排水作業を行っているとココロが折れそうになった。ヘッドライトをつけた職人が振り向きポンプをよこせと叫ぶ。

「こんな作業、しない方がいいのですが」

 

----

 

東京はミルフィーユのように多層化し多元化した都市だ。至近距離にムスリムや華僑やアッパーな実業家や女子大生やジャンキーやヤンキーが暮らし、彼らの視線は交わることがない。路上で交換されるのは空虚なマニフェストと老人の会話だけだ。

ひとつ言えるとすれば、親に買ってもらった港区のタワマン高層階でパーティをしてない僕たちが神楽坂でバイトするアーバンな美少女たちに出会うわけない、ということである。貧乏なんだから。

 

ぱりぱり外側中身はふわふわトーキョー。

ある一枚の絵について

f:id:hyonoh:20190418235202j:plain

自宅に一枚の絵が届いた。

否、この状態ではただの箱だ。

 

去年の11月ごろあるサイトであらかじめ注文しておいたもので、正確には記憶していないが2万円ほどしたように思う。木の枠と色のついた紙に2万円は決して安くない買い物だ、少なくとも私にとっては。

決め手としては色々あったが、受注生産品だったということもあるし(記憶が正しければ)、ライプツィヒあたりを移動しながら危険な野良Wi-Fi探しで焦っていたのかもしれないし、多分酔っていたのだろう。

 

その日、私は留守だったのでいつも家にいる母親がそれを受け取った。24歳にもなって結婚も就職もせずぶらぶらしている息子としては多少なりとも気まずい買い物だったので、丁寧かつ余計な情報の記載されていないその梱包には優しさを覚える。

 

とにかく、その絵が入った箱は注文から5ヶ月経って家に届いたのだった。

 

さて、届いたことに興奮と喜びを感じはしたものの、その箱はLPの1.5倍ほどの大きさということもあり、どこか場違いなような、心の底からそれを楽しめないような居心地の悪さを部屋の中で放っていた。それは箱の中身が私にとって深刻な意味合いをもつものであり、なおかつその価値を他者と共有することが難しいものであるがゆえだ。

また、そのモチーフが深刻であるがゆえに、客観的かつ冷静な気分でその絵を眺める行為には苦痛が伴うし(無職のくせになんてことに2万円を!と叫ぶだろう)、そのモチーフに対する主観的な思い入れを自分に取り戻す瞬間は日々短く、途切れ途切れになっている。

そんな時、昔の人は判断に困るものを一旦タブーとして封印し、後世の人々の解釈に任せる手法をとってきた。この場合、4日後の自分にそれが託されたのだった。

 

4日後。その日もかなり酔い、良い具合に視野の狭窄と思考の単純化、情動の波が自分に訪れているように感じた。今日ならいける、そう思い箱を開けた。

 

 

f:id:hyonoh:20190419001832j:plain

 

若い女性が5人、ウェディングドレスを着てこちらを見ている。

 

その表情は恥じらいもあるが基本的に穏やかなものであり、そのアニメ調のタッチや髪色や等身、背景の少なさや白が強調された配色、5名の女性がウェディングドレスを着ている不可解なシチュエーションも相俟って強烈に非現実的なイメージを見るものに与える。

一番左の女性の頭に飾られた花は一見クレマチスのようにも見えるが、ササユリのようにも見える。中央から延びる蕊は雄蕊か雌蕊か判別がつかない。それは白百合に雄蕊を書いてはいけない「受胎告知」のようにも見え、その曖昧さがかえって宗教的な趣を醸しているかのようだ。

作画はデジタルのようで均一だが、作者のものと思しきサインと紙質の良さが適度にアナログ感を加えている。

 

そして一見非現実的で性的なイメージのみを卑俗に結晶化したような絵でありながら、そこにあるのは「結婚」、「若い女性」、「舞い散る花」、などの抽象的な記号であり、またその抽象化があまりにも高度なものとして表現されているのでその印象はシリアスですらある。この絵が描かれるに至った背景は知る由もないが、おそらく人はこの高度な抽象性のなかに汲み切れない文脈があることに気付くはずだ。

付随する何か長い物語があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。そんなことはきっと30年もすれば誰もわからなくなってしまうだろう。

 

この絵は見る人、環境、時間によって印象を強く変え、解釈の余地を無数に用意しているだろう。神聖で侵しがたく、眩い輝きのようなイメージを与えることもあるし、卑俗な感情と商業的な活動の間から生まれた毒々しいイメージを与えることもあるはずだ。

だからこそ、この絵は素晴らしい。

 

私はこの絵を箱に戻し、部屋の奥に隠した。

次に開けるのはいつになるかわからないが、きっとまた箱を開けるだろう。

 

 

 

無渺息災

f:id:hyonoh:20190315213853j:plain

職場をクビになってからひと月以上経ち、私はまだ無職だった。

 

昼過ぎに目覚め、顔を洗い、タバコを吸い、図書館で本を借り、申し訳程度にハロワのディスプレイに向かい、コーヒー屋で本を読み、求人誌を拾い、公園で鳥を眺め、家で楽器を触り、Youtubeレアグルーヴを漁りながら眠りに落ちる。否、酒を飲み、twitterを眺めNetflixで映画を見て眠る。

 

f:id:hyonoh:20190315214725j:plain

12月にフランスから帰ってきて以来人前での演奏もなく、元々友達付き合いもあまりなく、最近はさほど心躍るような体験もない。あと金もずっとない。

とはいえ、ほぼ毎日この繰り返しなので、最近読んだ本や最近聴いている音楽についてシェアしてみようと思います。

 

最近好きな音楽

Arthur Verocai - Arthur Verocai (1972)

アルトゥール・ヴェロカイというブラジルの大物プロデューサーによる一枚。哀愁ある独特な曲調と各楽器のパーカッシブな使い方が素晴らしいし、最後の曲ではHenry Cowみたいな展開になって熱い。音も良い。

 

Roberto Cacciapaglia - Sei Note In Logica (1979)

イタリアのわりとメジャーなコンテンポラリークラシック作曲家(らしい)の作品。ライヒ影響の強さは言うまでもないんだけど、電子音とユーモラスな音の配置がジャケットの通り妙な朗らかさを感じさせる一作。

 

Talk Talk - Laghing Stock (1991)

最近亡くなったMark Hollisのグループ、Talk Talkの最終作。彼らはデュラン・デュランみたいなエレポップで世に出てきたにも関わらずある時期から急激にスピリチュアルなポストロックと化したことで世に知られていますが、この荒涼とした淡い世界観はやっぱり素晴らしい。

 Münchener Studioorchester - Twilights of Bali (1979)

いわゆる「西洋人によるエキゾ趣味」ものですが、その音像のサイケ具合、トランス具合ともに卓越した、79年ドイツ産エキゾジャズ。オリジナル盤は200枚しかプレスされなかった作品だとか。

 

OGRE YOU ASSHOLE - 「動物的/人間的」(2018)

日本では今一つ有名じゃないのが不思議なグループ。欧州でも人気なのは言うまでもないですが、前作「ハンドルを放す前に」が空虚なイメージのある作品だっただけに久しぶりのシングルがこのセロトニン感溢れる優しい一曲で安心。抽象的な歌詞もさることながらアコギの録音やメロトロンぽいストリングスが素敵です。

 

菊地成孔 - 「機動戦士ガンダム サンダーボルト メインテーマ」(2017)

すっかりおもしろサブカル知識人として各方面に活躍する菊地先生の最近の仕事。ガンダムはあまり知らないので特に期待せず観たら完全に圧倒されました。すみませんでした。

きっちりとスコアで仕上げられたであろう曲の聴きやすさとフリージャズの精神を失わないアルトサックス(菊地さんめっちゃうまい)と激渋フレーズを連発するピアノ(スガダイローさすが)の共存に脱帽。元ティポグラフィカはやはり凄まじかった。

 

 

f:id:hyonoh:20190315231231j:plain

梅の季節ですね。

 

最近読んだ本

なんか意図せずして筑摩書房縛りみたいになっちゃいましたがそういうこともあります。

 

「タブーの謎を解く」 山内 昶 (1996)

各地に存在する宗教、社会的タブーの由来、そしてそれらのタブーがなぜ食と性に関する部分に圧倒的に多く付着するのか?という問いに根差した一冊。読みやすい新書仕立てですが内容は濃く、後半ソシュールの思想に準拠した部分が多いのも含め個人的にはとても楽しい一冊でした。

 

「性食考」 赤坂憲雄 (2017)

おそらく上記の「タブーの謎を解く」から多大なインスパイアを受け書かれたであろう一冊。様々なエピソードの引用元の独特な偏りも含め、作者の幅広い知識から生まれたエッセイ的な側面が強い一冊ですが、文字通り性と食の根底的な共通性に深く切り込んでいく部分はとても興味深い。

 

LGBTを読みとく ─クィアスタディーズ入門」 森山 至貴 (2017)

Netflixの「クィア・アイ」によっても間接的に話題になっている「クィアスタディーズ」という概念。

われわれに今必要なのは良心ではなく知識である」と冒頭からはっきり宣言し、『「偏見がない」では、差別はなくならない。』という秀逸な帯の通り、LGBTとは何かという根本的な部分から社会におけるその排除、受容の歴史を含めて解説。ジェンダー、つまり社会的に与えられた性の在り方への疑問、LGBT内においても社会に向けて自分たちの権利を力強く主張するアグレッシブな層と、あくまでもそれを隠して社会に溶け込もうとする層の断絶なども含め「人々の多様性」をそのまま社会構造に組み込むことの難しさ、複雑さを徹底的に書いています。

SNSではいつもフェミニズムについての無知が引き起こす殴り合いが盛んですが、そこにコミットしないためにもこういった知識が社会全体に必要であると痛感した一冊。

 

「万国奇人博覧館」 G.べシュテル, J.C. カリエール (2014)

フランスを中心に世界中の奇人のエピソードを集めたまさに「超絶の人生カタログ」ですが、作者の本気度合いは冒頭の序文からも伺え、

正常と狂気の間にあって、無人の原野を行くがごとく振る舞う奇人は誰からも攻撃の的とされるが、ともあれ我々の社会では当面彼らは自由な存在である。この自由の幅が広く奇人に寛容であればあるほど人は深く息をつくことができ、可能性の領域を広げることができる。一言で言えば知的になれる。

という一節の通り「奇行とは自由な意思の所産なのだ」という崇高な理念のもとオカルトやカニバリズムシリアルキラーなどを排しているのでただの悪趣味辞典にならず、ひとつひとつのエピソードに読み応えがあり清々しさすら味わえる一冊。枕元に置いて寝る前にパラパラめくると幸せになれます。

 

 

 

f:id:hyonoh:20190315235507j:plain

ムシガレイを煮付けにしたら繊細な味になりすぎた。

 

 

 

 

 

 

ニンニクとスティルトンチーズで夢を見ようとした

ツアーから帰国すると、いつものように近所のスーパーで日清キャノーラ油を積む生活が始まった。店内の蛍光灯はあまりにもまぶしく、古くなった揚げ油の匂いとイチゴの媚びたような赤ばかりが目に焼き付く。とにかくここは明るすぎる。

そういうわけで、仕事を急に休んで海に行ったりを繰り返していたのでついには2年間務めたスーパーをクビになった。まだ海は寒かった。

 

労働をやめたことで精神が安定したのはいいが、今度は退屈がじわじわと尻のあたりを濡らし始めた。何かしなければ、という根拠のない義務感は無職の24歳の重い腰を動かすに十分である。

手始めにスポーツ観戦や恋愛にパチスロFGOの10連ガチャのような一般的な射幸性娯楽にコミットしてドーパミンの信者になることもたやすいが、それよりも久しぶりに面白い夢を見たくなった。それも「平民に100万円をバラ撒き月の裏側まで恋人のミイラを探しに行く」ような大それたものではなく、子供の頃インフルエンザにかかって見たような形而上的恐怖を伴うものでいい。*1

 

早速近所の店を回って用意した材料は以下の通り。

f:id:hyonoh:20190211215524j:plain

DAISOの怪しい100円サプリです

f:id:hyonoh:20190211220010j:plain

ロックフォールゴルゴンゾーラと並ぶ三大ブルーチーズのひとつ

f:id:hyonoh:20190211220137j:plain

醤油に漬けたらやたらしょっぱくなった。

 

何も口を臭くしようと努力しているわけではない。ご存知の通りスティルトンチーズは以下のような逸話で有名なチーズだからだ。

2005年、英国チーズ委員会(British Cheese Board)は「就寝前に食べたチーズと夢の関係」についての調査報告を行った。この中でスティルトンチーズはほかのチーズよりも「奇妙な夢」を見る確率が高いとしている。就寝30分前にスティルトン・チーズの小片20gを食べた被験者200人のうち、男性の75%は「奇妙で鮮明な夢」を、女性の85%が「奇怪な夢」を見たという。      

 

そしてニンニクは100グラムあたりのビタミンB6の含有量が極めて高い食材として知られており、ビタミンB6を摂取すると「夢をはっきり記憶できる」ことがオーストラリアの研究でも示されている。*2

f:id:hyonoh:20190211221640j:plain

https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/Vitamin/eiyou/b6.htmより

 

そして最後のイチョウ葉サプリだが、摂取するとうつに効くだとかセロトニンが出るだとかという噂がまことしやかに伝えられている。エビデンスは全くないらしく、プラセボに近いような類のものだが、どっちにしろ100円なので試してみても損はないはずだ。それに、600円程度で面白い夢を安定供給できるならば現代社会の娯楽たちに一石を投じることができるかもしれない。

 

1日目

ニンニクの醤油漬けを含む夕食後、22時ごろスティルトンを20グラム、寝る前の24時ごろニンニクサプリを二錠飲んだ。無臭加工されているらしいが普通にニンニクの香りは強く、効果のほどが期待される。

f:id:hyonoh:20190211223828j:plain

肌荒れは気にしないでいただきたい。

結論から言うと、翌朝夢を記憶していた。

内容はさほど奇妙なものでもなかったが、巨大なコンクリート造りの建築物の内部が極端に入り組んだブックオフハードオフのような施設になっており、壁一面に詰め込まれた本を開くとそれは自分の家族写真の貼られたアルバムであったり、幻想的な生物の生態が仔細に書き込まれていたりする、といった内容だった。

 

2日目

昼間にイチョウ葉サプリを2錠飲むが、無職になって以来脳内のセロトニンレベルは安定している気がするので特に変化を感じない。

20時ごろワインとビールを飲みながらピザを食べ、部屋で気が付くと眠りに落ちていた。22時ごろには目を覚ましたが、そこは見知らぬ体育館の準備室のような空間で、混乱しているうちに「もう一度目が覚めた」。今度こそ自分の部屋であり、つまり夢の中で夢を見ていた。

2時間程度のうたた寝にしてはなかなか奇妙な夢だったので期待できそうだ。中途半端な時間に寝たためなかなか眠れず、深夜27時頃、再び20グラムのスティルトンとニンニク錠を10錠用意し、バーボンで流し込む。

 

3日目

何も覚えていなかった。正確には、何か夢を見ていたことは感覚として把握しているのだが何も記憶されていない状態だった。

今回は条件を変え、あえて夕食前の18時ごろに30グラムのスティルトンを摂取、就寝前の26時ごろニンニクサプリを4錠飲んでみた。

……だがやはり翌朝になると何も覚えていなかった。今回に至っては夢を見ていたであろうという感覚さえ残っていなかった。

 

 

今回色々と条件を変え試してみたが、条件が緩かったこともあって「スティルトンチーズで夢は見れまぁす!」と言い切るほどの明確な結果を得ることはできなかった。何度かそれらしき夢を記憶することはできたが内容も凡庸で、奇妙と呼べるほどのものではなかった。

また、惰性で飲んでいたイチョウ葉もほとんどプラセボ的な効き目しか示さなかった。

 

なぜスティルトンチーズが夢を見せると言われているのかについては十分に研究されていないが、乳製品に豊富なトリプトファン代謝の過程でセロトニンメラトニンに合成され、腸内でインドールに合成されることと関係があるかもしれない。インドール環に対応するインドリル基はセロトニンメラトニン、そして麦角アルカロイド(及びLSD)、シロシビン等の幻覚剤にも含まれており、人間の無意識領域に強く作用する成分がスティルトンチーズを食べることで体内で合成されているのかもしれない。

とにかく今後の研究が期待される。(丸投げ)

 

*1:部屋のブラインドがグルグル回転しながら自分を巻き込んでいく幻覚は強烈だった、また見てみたい光景の一つである。

*2:とはいえ、彼らの摂取した量は240㎎という非常に高い数値であり、他のビタミンB群も摂取しない状態が望ましいとされている。ここではご覧の通り簡易的な手法を取り入れた。

あるアニメのファンが原作者にブロックされるまで

 

f:id:hyonoh:20190120003259j:plain

ひとつ懺悔をしたい。

 

とはいえ個室で教誨師や司祭に対してする類のものではなく、この記事を通して不特定多数の読者の皆様に対して行うものだ。該当の作品やそれに関わった方々を貶すような意図は全くないためここではあえて作品名を伏せ、厄介なファンがやらかして原作者の怒りを買うに至った経緯のみを少し長くなるがご笑納いただきたい。

 

表題の通り、私は5年ほど前からとあるアニメのファンとしてネット上で活動していた。それは女子高生がわちゃわちゃする類のギャグ作品だったが、作画はお世辞にも安定しているとは言えず、枚数制限がネタになるほどに低予算らしく、放送時間は深夜3時を回ることさえあり、何より主役声優たちの多くを未デビューの研究生たち(なんと現役女子高生だった)から起用したおかげで第一話は経験不足による演技の不安定さが明白なものだった。とはいえ、原作のおかげでギャグにはキレがあり、脚本も原作とアニメの媒体の違いを生かした素晴らしいもので、視聴一回目の違和感など忘れて次第に引き込まれていった。

 

当時私は某大学の一年生として独り暮らしを始めたばかりで、初めて自由に深夜アニメを視聴できる環境になったということもあって非常に新鮮な気持ちで日々放送されるアニメを楽しんでいた。

しかしその頃は「共通の作品のファンと交流する」という発想すらなく、せいぜい2ちゃんねるの実況スレで実況したり本スレを眺めたりというような共有のあり方で満足しており、そのアニメも数ある作品のうちのひとつという認識でしかなかった。漫画アニメラノベゲーム等のファンの雰囲気には元々馴染めないものを感じていたし、オフ会やコミケなどもどこか遠い世界のことでしかなかった。

f:id:hyonoh:20190120001855j:plain

遠いどこかの光景

ところが、である。

 

季節が変わり、全12話の放送が終了すると私は予想だにしていない喪失感に見舞われた。それは来週からあのチープでメタな、でも何とも言えず愛おしい作品が見られないことへの苦痛だった。

幸か不幸かインターネットは作品への攻撃的な評価も包み隠さず教えてくれる。そこで知ったのは、作品の円盤(DVD・BD)が初動3桁しか売れていないこと、声優たちの(特にシーズン前半)への酷評、特に信条もなく作品叩きを行ってアクセスを伸ばそうとするまとめアフィブログたちの数の多さだった。2019年現在のインターネットにおいて2ちゃんねる(現5ちゃんねる)、そしてまとめアフィブログの存在感は見る影もないが、5年前はミームの一大発信地としてニコニコ動画と並ぶ存在だったことを記憶している方々も多いと思われる。時の流れは速い。

それはさておき、この一件は自分が良いと感じた作品が商業的な理由から低い評価を与えられ、「クソアニメ」ネタとして消費されることへの違和感を初めて感じた瞬間でもあった。俗に言う「マイナー沼」に人がハマる時、このような視野の狭窄が度々起こることを、読者の方々は留意されたい。

f:id:hyonoh:20190120011720j:plain

入ってしまえば心地よい

 

時は半年ほど流れ、私は様々な事情から大学をやめニートに戻っていた。

作品の円盤も買い、本スレも欠かさず見ているうちに、なんとその作品の同人誌が出ることを知った私はついに人生初のコミケに赴くことを決意する。商業的な期待の薄さから原作、円盤、サントラ以外のグッズがほぼ皆無なこの作品において、ファンアートの少なさも言うまでもなく、スレの勢いも落ちていた。周囲に視聴者もおらず、当時の私は作品への思いを誰かと共有したくてならなかった。

そして酷暑の中集う異様な数のオタクたちにカルチャーショックを受けつつも、初めてリアルで出会ったファン同士の交流に感激した私は、SNSのアカウントを彼らと交換することとなった。当たり前だが、界隈が狭ければ狭いほど不快な思いをすることは減るものである。

そこには何から身を守っているのか缶バッヂを全身にまとい、徒党を組んで派閥争いを演じるようなイキリオタクは誰もいなかった。

また当時は原作も続いていたこともあってファン同士の話題も尽きず、今ではシスヘテジャップオスとしてギャルゲー二次嫁に狂う私も、当時は作中の百合カップリングに想いを馳せる純粋さを持ち合わせていた。とにかく、そんな予想以上の居心地の良さに私はすっかりハマってしまっていたのだった。

 

さて、当作品でデビューした4名の新人声優たち(A,B,C,D,と仮に呼ぶ)*1はその後(そのうちAとBの2名が揃って出演した一作品を除き)、ソーシャルゲームに時々名前が出る程度で次の出演作がなかなか決まらなかった。結論から言うと最初ファンからの注目が高かったA,Bの2名はその後密かに声優業界から引退することになるのだが、それを知らない私は様々な無関係なサイトに好意的な内容をボムするという荒らしそのものな方法で「サジェスト浄化」を試みたり、Naverまとめを作ったり、その声優の親族の元(偶然にも人前でパフォーマンスを行う職種の方だった)へと赴いてメッセージを送るなど、完全にヤバい領域に足を踏み入れていた。狭い界隈においては往々にして価値観、倫理観が先鋭化しがちであることについて、連合赤軍やオウムの例を持ち出すまでもなく皆様はご存じだろう。

とはいえ、当時の所属事務所に送った応援のメッセージ等についてのレスポンスが本人から得られたりして私は舞い上がっていた。認知やら界隈やらと浅ましさの極みのような発想にブレーキがかかることはなく、この後も厄介オタクへの道を突き進むことへとなる。

 

(BGM:パリは燃えているか

 

そんな中、一つの契機が訪れた。原作の連載終了だ

アニメ放送からちょうど一年ほど経ち、作者も描きたいことは描き終えて次の作品を作りたいという至極真っ当な理由での連載終了であったらしい。アニメ化されたとはいえ今一つ人気に火がつかない作品を一旦畳み、新たなスタートを切ろうという漫画家としての姿勢には十分共感できる。

しかし、当時の私はその早急な連載終了そのものに対して納得することができなかった。生存者バイアスに他ならないとはいえ、自分の周囲では当作品についての話題が満ちていたし、声優たちの動向も気がかりなままだ。

そこで私は非公式のファンサイトをブログ上で作成、公開することにした。作品に関する情報をファン同士が共有し、また作品を純粋に楽しむ意見をまとめることで作品に対する酷評ばかりが目立つ検索結果に対して対抗することができるだろう。

 

……と当時は大真面目に考えていたのだった。どう考えても1ファンとしては気負いすぎである。

そして2年近くにわたり、作者のSNS更新、声優の出演情報、同人誌の頒布、当時の実況スレ、とにかく作品に関する情報はなんでもまとめ、更新し続けた。twitterのリアルタイム検索も一日中監視し、作品への好評も悪評も構わずいいねを押し続けた。botではなく手動でそれがなされていることに気付いた人々はそれに恐れをなしたが、自分としてはそれが日常になってしまっていた。それは完全にニートのなせる業でしかなかった。

f:id:hyonoh:20190121235505j:plain

一日中作品のことを考えていた

その後も作品の合同誌企画に関わって偶然にも壁サー経験をすることができたり、作品のネタとニュースをこじつけて関連付けた記事を投稿し続け、作者にクソリプを送るなど平和な厄介オタクライフを満喫していたが、ついにそんな日々も終わりを迎える。

 

それが表題にもある通り原作者本人からのtwitterブロックだった。

 

経緯は単純である。原作者のtwitterアカウントがとある嫌がらせアカウントからの攻撃で凍結されてしまったことがあり、私はその様をキャプチャし個人アカウントから「ウケる」とだけキャプションをつけて投稿した。そして新たなアカウントを作成した原作者をフォローし直そうとした所で彼からのブロックに気づいたのだった。

 

そういった安易な発言を行うファンに不快感を覚えた可能性もあるし、日頃から自分の発言をしつこく拾う過去作のファンサイトに不快感を覚えた可能性もある。また、単純に怪しげなアカウントを一斉にブロックした可能性もある。今となっては詳細な理由はわからないが、とにかく原作者直々にアンチ認定されてしまったことにより、私のその作品に対する熱狂は嘘のように冷めてしまった。

作品自体は素晴らしいと思っており、未だにファンでもあるのだが、ファンサイトの更新はその日を境に完全に停止、作者の新作も追わなくなってしまった。自分があれほど熱中していたことに薄気味悪さを覚えるほど、その落差は大きなものだった。

そして気が付けば、アニメの放送から4年もの月日が経過していた。

 

 ----

 

これが一人の平凡なオタクの懺悔の全てである、と言いたいところだが、ぼかした部分やとても書けないような内容も多く、その辺り自己弁護的な内容になってしまったのはご容赦願いたい。

 

さて、往々にして人は作品への愛とそれ以外の要素を混ぜてしまいがちである。それはファン同士の人間関係であったり、二次創作への偏重であったり、声優への馴れ馴れしさであったりと、あまりにもSNSとの相性が良いものばかりだ。そして酒や麻薬のように、若ければ若いほど人格への影響も大きい。自分にとってこの日々はとても楽しいものだったが、同時にとても人には言えないような後ろめたさも伴うものだった。

それでもなお、人に言えないようなことに夢中になれることは最高だ、という想いは変わらない。魔法は必ず解けるものだし、今夢中になれること以上に信じるべきものがこの地上にはもう残っていないのだから。

 

 

*1:現在のC,Dの両者だが地道に活動を重ねた結果、某覇権コンテンツのCVをしたりと大活躍している。彼女たちの努力に敬意を示すとともに、人生の複雑さに感じ入る次第である。

【ディスク・レビュー】『トライナリー・妻と恋人のおやすみからおはようまで、バイノーラルな生活CD』(2018)

f:id:hyonoh:20190103001424j:plain

ヘッドホンをつけて目を瞑れば、そこは彼女と貴方だけの空間に――。バイノーラルによるヘッドホンバーチャル立体音響でのつばめ、アーヤ、ガブリエラ、みやび、神楽、千羽鶴との生活。それぞれの彼女との「モーニング」「ディナー」「ピロー」を、存分にお楽しみいただけます。特別なヘッドホンは不要!さあ、貴方と彼女との生活が、今始まります! (メーカーインフォより)

 

Introduction

2019年の1月2日、無事に帰省を果たした我が家族。

家路に向かう車内で少しばかり空気を換えようと私がHenry Cowの「Ruins」を爆音でPlayしようとした矢先、カーステレオから大音量で流れてきたのはノイジーチェンバーロック組曲のイントロではなくガブリエラ・ロタルィンスカさん(14)の「あっ、おかえりなさい!」という可憐な声だった。

 

 

誰も声を上げることはなかった。

 

 

永遠にも等しい車内の静寂が、私の魂を涅槃の境地へと誘う……

 

-----

 

悲劇の3日前、2018年12月30日の早朝6時半。私は現代のソドムの市こと東京ビッグサイトで行われる「コミックマーケット95」に参加するべくその冷えた身体を遥かなる行列の一部へと捧げていた。その苦行の目的とはとある美少女ゲームコンテンツにまつわる150人先着限定のお渡し会イベントへの参加である。

f:id:hyonoh:20190103021133j:plain

当ブログで幾度となく説明しているので重複にはなるが、今一度当コンテンツをとりまく現状について説明したい。以下、ネタバレ含むメタな視座からの内容になるのでファンの皆様には注意されたい。

 

拡張少女系トライナリー」は、2017年にリリースされ、2018年まで存在していたスマートフォン用アプリゲームである。存在していた、というのも2018年8月31日にサービスを終了、11月にはサーバの撤去が行われゲームをプレイすることはおろか、プレイヤーたちのプレイデータ等も永遠に失われたからである。とにかく、私を含めた全国数百名のオタクたちをガチ恋の沼に引きずり込み苦しめたその深淵なる作風に関する解説は以下の記事を参照されたい。

 

「拡張少女系トライナリー」という早すぎた恋愛RPG、或いはアイロニカルな没入について - Amygdala

「拡張少女系トライナリー」は一体何を拡張したのか? ―精神分析と多元化する自己意識 - Amygdala

 

さて、大概のスマホゲーのサービス終了後というのはグッズ展開含め迅速に撤退が行われるものだが、当作品は違った。

当作品の全てを生み出したといっても過言ではない男、プロデューサー土屋氏の尽きることを知らぬ創作意欲、漢気による働きかけによってなんと2018年の夏コミ、冬コミと未だにグッズの企画、商品化がガストショップから続いているのだ。

そしてファンたちも最早広がることのないであろうこの市場を支え続けることで、今後何らかの形でお家再興に繋がることを待ち望んでいる。それはまさにレジスタンスとその指導者のような関係性と言ってもいいだろう。

ゲーム体験というメインコンテンツを失い、元プレイヤーたちの記憶と思い入れに訴えかけるものづくりへとシフトした公式サイド。妻や恋人と引き離され煩悶とするプレイヤーたち。

そんな閉じたコンテクストが、ついにサブカルチャーの極北へと足を踏み入れた。

バイノーラル音声作品である。

 

バイノーラルとは?

 バイノーラル録音(バイノーラルろくおん、 英語Binaural recording)とはステレオ録音方式の一つで、人間の頭部の音響効果を再現するダミー・ヘッドやシミュレータなどを利用して、鼓膜に届く状態で音を記録することで、ステレオ・ヘッドフォンやステレオ・イヤフォン等で聴取すると、あたかもその場に居合わせたかのような臨場感を再現できる、という方式である。(Wikipediaより)

f:id:hyonoh:20190103033650j:plain

レコーディング環境の一例

このようなレコーディング方法により、まるでその場に居合わせるかのような臨場感を生む録音が可能になるわけだが、その用途として最も一般的なのが「男性向け同人音声」である。DLsiteの「バイノーラル」タグでは様々な作品が販売されているが、その内容もソフトな癒し系から、ハードコアなプレイを伴う18禁作品まで幅広い。またリスナー側のセッティングの重要性、催眠を伴うような強い自己暗示を要求する特性上、広いサブカルチャー内でもかなりの玄人向けとされるジャンルでもある。

 

さて、前述のお渡し会は「トライナリー年次報告チャーム」なる、少し成長した彼女たちからの手紙が同封されているというこれまた大変業の深いグッズをヒロイン全員分購入すると150人限定で参加可能というもの。私が何番目だったかは知る由もないが、なんとか整理券を入手し、お渡し会に参加した。プロデューサー土屋氏、逢瀬つばめさんの親友(便宜的表現)たけだまりこさん、逢瀬千羽鶴さんの親友(便宜的表現)岩崎春奈さんの順で少しお話しすることができた。感極まって号泣するオタクが続出するなか、三者とも真摯な対応が印象的で、中でも土屋氏の柔和かつ器の大きい対応にはもはや指導者の風格さえあり、彼のファンが多いのも頷ける。

 

トラック内容

トラックは以下の18トラック。各ヒロインが起こしてくれるモーニングパート、一緒に食事を楽しめるディナーパート、夜添い寝をするピローパートの3パートに分かれており、全体的にソフトな内容ながらプレイヤーたちの行き場のない欲動をより刺激すること間違いなし。私は初めて聴いた日つばめちゃんの第一声からあまりの距離感に錯乱しかけ、満足に眠ることすら叶わなかった。

全員に共通する部分ではあるが、ゲームでは成しえなかった要素である「距離感」にとことんこだわった作りであり、描写がソフトであるにもかかわらず下手な18禁作品以上の刺激がある。

  1. 逢瀬つばめ【Morning】本末転倒ライフ
  2. 逢瀬つばめ【Dinner】ウサギのビストロ
  3. 逢瀬つばめ【Pillow's】ドキドキ?ワクワク?
  4. 國政綾水【Morning】時間の守り人
  5. 國政綾水【Dinner】子供はどうして?
  6. 國政綾水【Pillow's】リラクゼーションタイム
  7. ガブリエラ【Morning】死か、起床か!?
  8. ガブリエラ【Dinner】スイーツパーティーパラダイス
  9. ガブリエラ【Pillow's】お姫様のキッスはね?
  10. 恋ヶ崎みやび【Morning】グッドハッキ~ン、ダーリン♪
  11. 恋ヶ崎みやび【Dinner】ボッチ飯シミュレーター
  12. 恋ヶ崎みやび【Pillow's】フェティッシュブルー
  13. 月神楽【Morning】アンリミテッド・ラビット
  14. 月神楽【Dinner】レンチン・マリアージュ
  15. 月神楽【Pillow's】キット・オクリモノ
  16. 逢瀬千羽鶴【Morning】塩対応!Done!
  17. 逢瀬千羽鶴【Dinner】ランちー!Done!
  18. 逢瀬千羽鶴【Pillow's】トロッコ!Done!

各トラックごとへの詳細なレビューは差し控えるとして、 添い寝あり耳かきあり子守歌ありの大変充実した内容。個人的にはトラック10「グッドハッキ~ン、ダーリン♪」を聴いている途中、メガネをかけダルなTシャツ姿でパソコンに向かう恋ヶ崎さんの姿を脳内で錬成したあたりで全身が液体となり床に緑色のシミを作った。

また、何度も指摘されている部分ではあると思うが、神楽の「キット・オクリモノ」の演出はもはや反則の領域。内容も購入者がストーリーを最後までプレイしているのが前提となっており、良い意味で吹っ切れている。

 

総評 

★★★★☆ (5126000点)

 

  • 前述の通り閉じたコンテクストだからこそ成しえた素晴らしい企画。是非シリーズ化を期待。
  • 内容が良いだけに収録時間の短さを感じる。次はもう少し各パート、ヒロインごとにより長めの内容を期待。エリカさんの登場にも期待。
  • 一言一言がプレイヤーたちのココロには刺さりまくるとはいえ客観的にはかなりソフトな内容なので安心して聴ける。これ以上の内容に関しては聴きたい気持ちと聴きたくない気持ちが重ね合わせとなっている。
  • そもそもボイスサンプルが少なかった千羽鶴の表情豊かな声が聞けて新鮮。
  • 録音に関してデジタル感は多少あるものの、むしろ重要なのはリスナーの精神的、環境のセッティング状況。余計なことをせず、素面あるいは少量のアルコール摂取が適切な没入を生む。
  • みんなスキ(浮気)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『IUCN レッドリスト 世界の絶滅危惧生物図鑑』は面白いけどかなり気が滅入る本だった

 

f:id:hyonoh:20181226021624j:plain

最近巷では「ざんねんないきもの」やら「どんまいないきもの」やらと生物の形質をホモ・サピエンスの価値観から評する読み物たちが好評を博しているらしい。日本における哺乳類研究において今泉氏の功績の大きさは言うまでもなく、生物に興味を持つ子供を増やすためにもこのような間口の広げ方には一定の効果があるのだろうが、問題は児童書の宣伝文句を真に受ける大人が多いことだろう。それはおそらく、筆者の予想以上に。

 

表題の書籍「ICUN レッドリスト 世界の絶滅危惧生物図鑑」(2014)は、美しい写真と豊富な資料、分かりやすいガイドブック風のレイアウトの図鑑であり、書籍紹介の欄には以下のように記載がある。

今日地球上に生きている動物、菌類、植物に見られる多様なすがた(=多様性)は、35億年におよぶ生物進化によってもたらされたものです。この進化の過程が、過去100~200万年、とりわけここ500年における人類の活動によって、大きな影響をこうむっています。歴史の中で「自然な」絶滅はたびたび起きていますが、現代の生物多様性の喪失スピードは圧倒的で、その速さは人間が関与しない状態の1000~1万倍とも見積もられているのです。

 

実際にこの書籍において最も強調されている要素が「人間の関与による絶滅の危機」であり、商目的の乱獲、環境の破壊、様々な要因があれそのほとんどに我々70億人のホモ・サピエンスが関与していることが極めて淡々と説明されている。本当にどのページをめくっても載っているのはどこかで滅びかかっている生物の説明と我々がそれに関与しているという事実だけなのだ。この図鑑に記載されているどの生物も個性的で美しい。それゆえにはっきり言ってとても気が滅入る本だ。

f:id:hyonoh:20181226023933j:plain

 

そもそも、地球上の生物史において大量絶滅は過去に5回ほどあったと見積もられており、それをビッグ・ファイブ*1とも言う。最後に起こったのはご存知のとおり恐竜の絶滅を含む約6500万年前の白亜紀末の事変であり、それ以降の陸上、水中の大型生物は大型爬虫類からほとんど哺乳類へと取って代わられた。

そして、今まさにその哺乳類の時代を我々が終わらせ6回目の大量絶滅を起こしている最中というわけだ。更新世の10万年前ごろ*2にアフリカを出た現生人類は、完新世のはじめまでには行く先々で古代の巨大獣たち(メガファウナ)をほとんど滅ぼした。ユーラシアではホラアナグマ、ケブカサイ、ギガンテウスオオツノジカなどが、南北アメリカではスミロドンメガテリウム、マンモス、グリプトドン、マクラウケニアなどが、オーストラリアは最も顕著で、47000年前ほどに到達したアボリジニの先祖の活動の結果、体重30キロ以上の哺乳類や鳥類、爬虫類がほとんど絶滅した。*3全世界的に見て最も被害が大きいのはゾウ目で、6科中5科が全滅、生き残りのアフリカゾウアジアゾウ、マルミミゾウも数百年中には絶滅が避けられないであろうという悲惨な有様。

 

現代人と違い各地の先住民は自然と共存してきた、というような言質が現代社会への批判に度々用いられるが、それが都合の良い解釈なのは疑う余地がない。そもそも我々は意図せずだとしても真っ先にネアンデルタール人やエレクトスなどの「親戚たち」を全て滅ぼしているのだから。

ホモ・サピエンスは出アフリカ以降一貫して強力な侵略的外来種なのだ。

f:id:hyonoh:20181226041134j:plain

人間が滅ぼしたであろう北米の大型獣だけでもこれほどの数

さて、歴史の話はこれくらいにして、本書のツボなポイントを取り上げたい。

まず脊椎動物無脊椎動物、植物、菌類などレッドリスト記載種365種類が生息地域を問わず幅広く取り上げられている点が特徴であり、特に本邦の一般向け書籍では初紹介となるような珍種、ドウクツナマズ(Clarias cavernicola Trewavas)、バーナップハンターナメクジ (Chlamydephorus burnupi)や地衣類のフェルトチイ(Erioderma pedicellatum)、やたら大仰な名前の子嚢菌オリンピアゼウスカビ(Zeus olympius Minter & Diam, 未記載種)など普段あまり注目を集めないような小さな生物にもフォーカスされているのが本書の最も良い点のように思う。

それらの生物は往々にして特殊化が進んでおり、移動力がなく、生息地域もたったひとつの泉であったり洞窟であったりと生息環境そのものが狭く脆弱である。特にドウクツナマズに至っては「この種が生息する湖は完全な暗闇の中にあり、18×2.5メートル四方の面積しかない。」という極限環境かつ、個体数も200-400匹と推定されている。そんな環境に迷い込み何万年も閉じ込められていながらも生き延びてきた生命の神秘も、付近の住民が農業用に少し水をくみ上げれば全て干からびて終わりである。

f:id:hyonoh:20181227005055j:plain

 

福岡伸一は、『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(2009)において生命を「分子が一時的に形作っている流れそのもの、動的な平衡状態にあるシステム」と定義した。物質的構成分子が生命の本質なのではなく、分子が絶えず出入りしているサスティナブルな効果そのものが生命の本質なのだと。

そしてサスティナブルなものは一見不変のように見えて実はわずかながら変化し続けている。不可逆的な時間の折りたたみの中で繰り返されるその軌跡と運動の在り方をずっとあとになって「進化」と呼べることに気づく、とも。

つまりひとつの種を滅ぼすということは、その生物を生み出すまでに存在した全ての生物を含む継続した時の流れそのものを不可逆的に破壊することなのだ。

 

ならば全ての生態系を完全に破壊し、全身を義体化し、機械はサイバースペースの力を借りて自己修復し、酸素供給もウイルス除去もナノマシンに担わせる、そんなBLAME!のような究極のサイバーパンク世界を人間は生み出しうるのだろうか?おそらく否である。我々はおそらく今後数百~数千年かけて生態系を中途半端に破壊しつくすが、せいぜいペルム紀末の大量絶滅(全生物の95%が絶滅)のような状況を生み出したあたりで力尽きるのではないだろうか。その後残された生物は数百万年ほどで空いたニッチに適応放散し、新たな時代を刻むだろう。そしてそれがおそらく完新世、或いは人新世(アントロポセン*4)の終わりである。

 

世界中の誰もが幸せになるためにもがいている。その過程で森を燃やし、魚を採り続けるのは経済活動という点においてはむしろ推奨される行為であり、それを保護の観点から阻むためには彼らがそれらによって得ている利益以上のものを約束しなければならないというジレンマが常に存在している。自分の生活がある程度保証されていなければ、誰も他の生物を守ろうなどとは言わないのだから。

 

かくいう私もスーパーのアルバイトでうなぎを並べるだろうし、すしざんまいの社長はいつもマグロの前でニッコリしている。一体どうすればいいのだろうか?どう考えても一番ざんねんないきものはホモ・サピエンスだろう。

ぜひともこの図鑑を読んで、そんな気の滅入りを感じてほしい。

 

 

 

*1:オルドビス紀末、デボン紀末、ペルム紀末、三畳紀末、白亜紀末の5回。そのほとんどは原因すら定かではない。

*2:諸説ある、アラビア半島には19万4000年~17万7000年前までにホモ・サピエンスが進出していた可能性が指摘されている。

*3:オーストラリアの大型動物相 - Wikipedia を参照のこと。

*4:オゾンホール研究でノーベル賞を受賞した大気化学者パウル・クルッツェンの造語。